だいぶん気が楽になっている

たくさんの先輩方に相談させてもらって、
励ましの言葉と、経験談をいただいて、
特に母親と電話をしてから、すごく気が楽になっている。

本当に休学なんて必要なのかな?ってくらい気は上向いている。
食欲は戻ってきてるし、今日はぐっすり寝れた。
でも朝起きると、よくわからない不安から動悸を感じる。
あと、いろいろ調べると躁鬱の躁状態である可能性を否定できない。

たしかに、ここまで depressed なのはあまりない。
合格校があったのに入学辞退して、浪人すると決めた時は、目標と現在地の乖離が大き過ぎて、同じように落ち込んだ気がする。
でも、その時は大学に行くしか考えられなかったから、一生懸命勉強するしかなかったわけである。

今は違う。
博士した方がいいのか、就職した方がいいのか。
「しない後悔よりもする後悔」とはよくいうが、今はそれで全てを決められるほど、楽観的かつ希望をもった将来観を持っていない。

話は前後するが、前々から躁と鬱みたいなのを繰り返していたのかも。
具体的になにがストレスだったのか、嬉しかったのかまではもう何も思い出せない。
でも、ただ酒を飲みながらジャンクなものを暴食したいと思いがちな日々があったことは間違いないし、漠然と焦燥感に駆られていた時があったことは間違いない。
このnoteもそうだけど、あまり気持ちがいい状態じゃないと思われる時はツイート数が増えていた気がする。

ストレスの一時的な解放 (対処療法?) に、車を持っていることはいい手助けだったのかもしれない。
帰り道は遠回りしたくなる 日はミニドライブできる。
気ままに1人で釣りにも行ける。
カラオケルームにもなる。
誰かを乗せて一緒に晩御飯食べに行くこともあった。

でも、所詮はストレスを先送りして、将来への負債にしていただけなのかもしれない。
今の僕は結果的に財政破綻した。
ある程度堅いと思っていた設計が脆くも崩れ去った。
マネー・ショートという映画が好きだ。
あまり経済とか投資に詳しくないので、間違っているかもしれないが、
あれは住宅バブルの裏で住宅価格が下落する方に賭けた投資家たちを主人公にリーマンショックを描いている。
僕が思い描いていた短期的な将来は、いつまでも住宅価格が上昇し続けることを前提としていた。
自分と周囲の人にはその見通しの脆弱性がわからなかった、少なくとも大きな問題ではないと思っていたのだ。

僕は今後しばらく住めると思っていた家を失った。
幸い、住もうと思えば住める家は提供してもらえた。
しかし、どの家が一番住みよいのか、自分にもわからない。
住んだ家を住みよくしていく方が建設的なのかもしれない。
でも、リフォームするにも限界はある。
その限界を受け容れられるかが、たぶん最大の問題。

当然ながら周囲のほとんどは就活している/いた。
世間話程度に研究室では、就活事情を聞いていた。
みんな、自分がやりたいこと/やってみたいことを第一に、給料、勤務地などを踏まえて希望する就職先を選んでいた。
一方で、久々に部活の同期たちと話した時は全く逆だった。
企業偏差値ランキングとかいう、訳のわからない物差しを取り出して、あそこに行きたいとか、この企業がいいとか言っていた。
自分がやりたいこと/やってみたいことが前提になっているのかもしれないけど、これまで自分が聞いていた就活とはまるで違い過ぎて面食らった。
でも、彼らは彼らで僕でも知っているような大大大企業に内定をもらっているんだから、安住の豪邸を見つけられたのだろう。

僕にとって、安住の家とは何なんだろう。
仕事内容、給料、プライベート (= 家庭+趣味?) それぞれに何をどの程度求めているのか。
効用関数はどんな変数で構成されていて、どんな式になっているのだろうか。
それがわかったら、苦労しないんだろう。

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