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価値観の出どころは他人の体験

ニールは神が自分の質問に答えていると
いうことを恐れ多く感じていました。
それに対して神は他人の体験を自分の価値観として受け入れてきた為
自分には
神に話しかけられるような価値がないと思い込んでいるのだ、と語ります。

神がいくら「人は生まれながらにして純粋な愛である」と
言っても「人は生まれながらにして罪である」と
教えられてきたニールは
SEXは悪、お金は悪、喜びは悪、自分さえも悪だと
言い聞かせてしまう癖がついているのです。

私たちが真実だと思っている価値観の中で
自分自身の体験に基づいたものが
一体どれほどあるのでしょうか??
例えば
性的体験について考えてみてください。
多くの人がそれをエネルギッシュで親密で
一体感のある愛すべきものだと知っています。
それなのに
世間の風潮から何だか恥ずかしい行為だと感じ
自分の崇高な体験の方が間違っていると思おうとして
自分を淫らな人間だと責めたりしていませんか??

人から教えられたことをそのまま受け入れて
自分自身の体験の方を否定してしまうのです。

またお金を得る度に嬉しくなるのに
「お金とは汚いものだ」と教えられて育ったので
お金儲けをしている自分に
罪悪感を持ってしまうこともあるかもしれません。
このように『俺、私、僕』たちは
他人の真実を自分のものと思い込み
それを中心に思考を築いてきました。
他人の体験から自分という人間を作り上げ
あなたの親の、さらにご先祖たちの
もっと言えば
社会の価値観があなたの人生の骨組みになってしまっているのです。

自分の心が感じた体験を他人の考えに照らし合わせることを
しなければそれは今までと全く違った体験になるでしょう。
教師や情報源の方が間違っているのだと
あなたに教えてくれるかもしれません。

心で感じる神は「神は善である」とあなたに伝えているはずです。
その感情を素直に受け入れることが神の声を聞く第一歩になるのです。

明日に続く…

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