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高校サッカー終了

素直な自分の気持ちを書きます。
それは違うやろって思うようなこともあるかもしれません。
最後まで読んで頂けたらありがたいです。






2023年1月2日火曜日をもって俺の高校サッカーは幕を閉じた。



自分たちの代になって「日本一」という目標を掲げ、
初めは現実味のない目標だったものが、
シーズンを戦っていくうちに手を伸ばせば届く現実的なものへと変わっていった。






思い返せば、自分たちの代は新型コロナウイルスの影響で入学式すらなく、
ようやく高校サッカーが始まったのは、2020年6月のこと。
初めは練習試合をすることすら難しかった。



そんな中、始まったグロイエン。
出番はあまりなく、同じポジションの選手の子のけがや累積による出場停止で回ってきたチャンスもモノにすることはできなかった。
同じポジションの子がチーム内の優秀選手に選ばれたとき、すごく悔しかったのを今でも覚えている。



選手権の時期になり、チームもピリつき始めた時、自分たちの学年で問題が頻発していた。
この学年の仲間に対して、
「なんでそんなにレベルが低いのか」とガッカリした。
挙句の果てには大阪大会決勝の前日の大事な練習の時に「1年、 グラウンドから出ろ!」と言われ、チームに多大なる迷惑をかけてしまった。
この時から学年代表を務めていたが、1年生全員で話し合うとなっても、
大した仕事もできずに本当に形だけだったなと思う。



そんな中でも、ありがたいことに3年生が選手権の全国大会という景色を見せてくれた。
この代が最強だと思っていた。
惜しくも初戦で帝京長岡に敗れてしまったが、
3年生が西日の差し込むゼットエーオリプリスタジアムを涙を流して去っていく光景は目に焼き付いている。






2年生となり、Aチームに絡む同級生が増えてきた。
春先くらいまではAチームに絡ませてもらっていたが、そこからは全くだった。
2部リーグには、コンスタントにベンチ入りさせてもらっていたが、
結局1年間通して出場できたのはたったの5分。
その少ない5分のうちに、こぼれてきたボールを大きく蹴りだそうとしたところ、滑ってこけながらのキックになってしまったのはいい思い出だ。



この年は、インターハイ大阪ベスト16、選手権大阪準優勝であった。
しかし、プレミアリーグという最高の置き土産を残してくれた。
2年間で全国大会に行けた年と行けなかった年の両方を経験することができた。
しっかりと自分たちの代に生かさなければいけないと思った。






そして迎えた新チーム。
その時の状況はと言うと、内転筋の怪我に苦しめられていた。
完全に乗り遅れた。
11月の中旬に新チームが始動し、結局復帰できたのは年明け。
年末年始の遠征にも行けなかった。
その後、2月末にもも裏を怪我して、プレミアの登録30人から漏れた。
次の入れ替えでメンバーに入るためだけに頑張った。



少しずつAチームで練習できることが増えてきた。
入れ替えでようやくプレミアのユニホームをもらうことができて、
インターハイ大阪予選でもベンチ入りすることができた。
インターハイでは全国大会が決まり、大阪一を獲って、今までやってきたことが報われた気がした。



しかし、全国を控えた6月25日の2部リーグで頬の骨を骨折し、メンバー入りが絶望的になった。
全てがどうでもよくなった。サッカーをやめようかと思った。
それでもサッカーを続けることを決めた。



インターハイ、全国ベスト16。
正直、もっと上まで行けた。気持ちのところでどこか慢心のようなものがあったはず。
冬に同じ過ちはしないとチームでも再確認した。



9月頭の入れ替えで登録外になった。
結局11月中旬の入れ替えでは変更がなく、プレミアリーグのピッチに立つことはなかった。



あとは選手権。わかりやすかった。
「そこにさえ入れたら」という気持ちで頑張ろうとしていた。



選手権初戦を約1か月後に控えた時、左足首捻挫。
元々、捻挫癖はあったが、今までと比べてもかなりひどかった。
とにかく初戦に間に合わせる。それだけだった。
しかし、治りはあまり良くなく、復帰したのは準決勝後の練習。
もう遅かった。仲間に託すしかなかった。
そして、迎えた決勝戦。
延長戦の末、勝利し、全国大会への切符を勝ち取ることができた。
最後の冬に向けて、またバチバチの競争ができるチャンスを作ってくれた仲間には感謝しかない。



プレミアに出れない俺は2部リーグでアピールするしかなかった。
そんな2部リーグでも、負けてしまったり、勝てても失点していたりと、
とても使いたいと思わせれるようなアピールではなかった。



それでも選手権の登録30人に入ることができた。
そこから事前合宿に帯同する27人まで絞られる。
遠征前の練習試合では、B戦の最後の20分しか出れないことがほとんどで、
そのたったの20分で失点してしまうような出来だった。
自分自身モチベーションを保つのが難しかったが、
たったの20分でも本気になることができて、悔しさを感じることができていた。
やっぱりサッカーが好きなんだなと思った。
出発の2日前、27人が発表され、そこにも何とか入ることができた。



この27人に入ったからには、選ばれなかった仲間、特に3年生の気持ちを背負って戦わなければいけない。



12月11日  
2部リーグ最終節。選ばれなかった3年生が戦う最後の公式戦。
Aチームの試合が終わって、茨木グラウンドへ向かい、最後の15分ほどではあったが、試合を見ることができた。
到着した頃には、すでに0-3となっていて、
さらにもう1点失って、0-4の敗戦となった。
試合が終わり、1人1人に「おつかれさま」と声をかけた。
みんな涙を流していた。
メンバーに選ばれないことにはもちろん理由があって、それは本人達もわかっていたと思う。
「あいつはやる気がない」と言われたり、試合になかなか出れないことでモチベーションを保てず、100%本気で取り組めなかったり、やる気が起きないということもあったに違いない。
それでも、それぞれがいろんな気持ちを持って頑張ってきた3年間があって、
必死に取り組んできたはずだ。
俺はほかの仲間よりもこの子たちとBチームで過ごす時間は長かった。
その分、Aチームの基準だと言って、取り組みや姿勢を否定するような厳しいことをたくさん言ってしまった。
それに対する申し訳なさやそれぞれの過ごした3年間の辛さを考えると、涙が溢れてきた。
それと同時に、これから始まる戦いに覚悟と責任を持たなければならない、
そしてこの子たちに恥じない姿を見せないといけないと思った。



12月25日から事前合宿を兼ねた最後の遠征、そして最後の選手権が始まった。



25日   バス移動を終え、体を動かす程度。



26日   セットプレーの練習。
22人に入れなくて、何もできない。外から見ることしかできない。
それでもぐっと我慢してチームのためにできることをする。



27日   ここまで来ても同じようなミスをする自分が悔しかった。
選手権という素晴らしい舞台で、
「出れる・出れない」、「上手い・下手」よりも掴めるものがあるはず。



28日   国立競技場で開会式。
先頭で部旗をもって行進させてもらった。最高の経験。


20分ハーフの練習試合。
後半だけ出た。無失点だった。
それだけでもちょっとうれしかった。
たったの20分。やっぱりサッカーが好き。




29日   1回戦 vs東邦 4-1
まず1つ。ただ素直な気持ちで試合を見れない。喜べない。
応援してくれる人のことを考えたり、みんなが活躍してるのを見ると悔しい。
点が入れば入るほど悔しかった。



30日   いつか報われると思って努力していればいい。そう思った。
自分とその先の未来を信じ続けること。



31日   2回戦 vs盛岡商業 6-0
2023年も高校サッカーを戦える。
やっぱり悔しい気持ち無しに試合を見れない。
でも、1回戦より1点を喜べた。少し無理矢理でもそれでいい。



1月1日   2023年が始まった。
クリスマス、大晦日、元旦。全くと言っていいほど感じない。
日にち感覚、曜日感覚がこんなにバグる年末年始は初めて。
この上ない幸せ。



2日   3回戦   vs佐野日大 1-1 PK4-5
選手権、高校サッカー終了。
色々な感情が入り混じる。
悲しさ、不甲斐なさ、怒り、悔しさ、申し訳なさ…。
終了直後の感情で一番強かったのは、怒りだった。
「もっとやってくれよ」「何負けてんねん」そんなことばかり出てきた。
最後の最後でこんな感情になるとは自分でも驚きだった。
その感情は、応援席に挨拶に行ったときに変わった。
みんなの前で泣かないと決めていた。

「応援ありがとうございました。気を付け、礼。」


応援団に頭を下げると、こんな言葉が聞こえてきた。


「最高の試合をありがとう!」


選ばれなかった3年生の声だった。その時、涙がこぼれた。
みんなに申し訳ない。もっと一緒に戦いたかった。


顔を上げ、涙をこらえ、他の観客への挨拶もして、
ロッカールームへと引き上げた。

みんな泣いていた。
ここで俺が泣いてどうする。今、誰かと話したら、涙が止まらなくなる。
そう思って黙々と片付けを始めた。

片付けも終わり、最後のミーティングも終えて、広場へと出た。
そこで応援してくれていたみんなが集まっていた。
保護者の方々への挨拶でしっかりと喋り、応援してくれた3年生に涙は見せずに
笑顔で、伝えるべき「ありがとう」を告げた。

ホテルに戻って、しばらくしてから、一緒にコンビニに行った子と部屋で話した。
そこで今まで我慢していた分が溢れ出た。
なんの涙かは自分でもよくわからない。
おそらく悔しさと申し訳なさだろう。
溜めていたことをそこで話した。


3日   帰阪。
母が迎えに来てくれていた。
家に帰ってきて、手を洗っていると涙が溢れてきた。
顔を洗ってごまかして、自分の部屋に上がり、そこで涙が止まらなかった。
「なにもできなかった」無力感が残った。
試合直後には全く湧かなかった実感が少し湧いてきた。






サッカーにささげた3年間。



Aチームの公式戦には一度も出場せず、2部リーグに出たのも両手で数えられるほど。
結局、一度も日の目を浴びることなく終わった。


自分の取り組みには自信があった。
評価されるのは、上手い人。
でも、その人もしんどい思いはしているはず。血の滲むような努力をしていたはず。
だからこそ、余計に結果が出ずに、上手くいかないことが悔しいし、もどかしかった。
普段の取り組みだけじゃ生きていけない世界なんだと痛感した。



諦めずに努力し続けてきたつもりだ。
でも、心のどこかでずっと少し諦めかけていた。
それでも、「諦めたらダサい」、「自分のプライドが許さない」そう思って努力してきた。



辛かった。しんどかった。



応援してくれる人の声が痛かった。



「がんばれ」



何をがんばればいいねん。

俺、試合出えへんねん。

ずっとそう思ってた。



心を込めて「ありがとう」と言えたことがあっただろうか。
ほとんどないと思う。



全部全部ひっくるめて自分の責任。
チャンスを掴めなかった。チャンスを手繰り寄せられなかった。



だから、最後のチャンス。大学サッカー。
もうこんな思いをしないように。
ピッチで戦ったうえでの感情で終えられるように。






最後に


こんな俺をいつも支えてくれたみんな。
そして
キャプテンとして認めてくれた24人の仲間へ。



心を込めて 「ありがとう」


次はライバルとして戦おう。










自分勝手な文章、最後まで読んでいただき
ありがとうございました。

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