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リレーコラム: 写真(鈴木)

こんにちは鈴木のすりです。

前まではてなブログでやっていた連載コラムを、また復活させてやろうぜってことになりました。

そもそも止めていたのは私なんですが、、

(そしてまたやろうって言ったのも私)

花岡さんは一言「うん」と言ってくれました。

(色々孕んでいそうな「うん」だった)

で、何する? 何かく? って花岡さんに相談したときに「リレーコラムやろーよ」と。ていうか、「バトン止めてるやつあるでしょ」と言われ、あっっ!! と。花岡さんにぶん投げられ私の横をかすめ落ちてったバトンがありました。(おめーが頭振ってよけたんだよ)
遡って見に行ったら2019年だった。2年間放置しっぱなし。

なんで、その2年前に置いてきたバトンを、また拾ってきてちょっとまた走ってみようかなと思ったわけです。

拾ってきたバトン

というわけでお題
「写真」

写真。写真を撮るのは好きだ。

何年か前に1眼レフのカメラを中古で買って、たまに引っ張り出しては遊んでる。だいたい近所や井の頭公園や、ちょっと変わっててかわいい家やその辺の草や花を撮ってる。人がほしいなと思ったら、沖田を映り込ませたりしている。

今年買ったアイフォン12の画質が良すぎて、そっちばかり使ってしまうきらいはあるが、1眼レフは奥行きがあっていい、気がする。

ただこの前、

撮っていた写真を見ていてふと気づいた。

自分が写ってる写真がない。

そりゃそうだろう、そのへんの草ばっか撮ってんだから。

そもそも私は自撮りをあまりしない。

自撮りってちょうど私が学生の頃にケータイのカメラの質が良くなり出したんで流行りだして、SNSの文化が出始めで、だいたい派手な子たちが自分にカメラを向けてカワイク盛った写真を撮りSNSに上げるみたいな流れができた頃。

その文化にはまだ真新しさがあったので、まだ「え?自分にカメラ向けちゃうの?自意識強すぎじゃね?」みたいな嫌な目があった。

自分のカワイイ顔を撮って公衆の面前にアップ、なんてそれは派手な子たちがやる文化で、くそ根暗だった中高時代の私がやることではなかった、と思っていた。自意識高すぎじゃね?w って言われるの怖いし。

で、深めにネットに潜ると「顔出し」はなんかご法度だった。むしろ「顔を見せない方が謎っぽくてカッコいい渋い」みたいな風潮があって、まんまとそっちに乗っかってしまった。

おかげさまで私は、自分を撮るという文化を閉ざしてしまったのだ。

今や顔出し、当たり前だよね。むしろ顔出してない方が「怪しくて信頼できない」みたいな感じらしい。YouTubeだってtiktokだってインスタだって、みんな自分の思い出を共有しまくって楽しんでる。

うちには10歳離れた妹がいるのだが、今大学生でインスタやtiktokをバリバリやってて、家族写真なんか撮るときも自分のキメ顔を知っていて、一番良い顔でおさまってくる。モデルさん顔負け。慣れに慣れまくってる。

私は大抵「どうすればいいのか」みたいな神妙な顔でいる。それでいて半目の確立が高い。(これはいつまでたっても直らない。なんでシャッターの間際に目をつむろうとするのか)

今に生きる子たちはみんな、
自分の見せ方をよく知ってる。

多分今は自撮りしていて「うわ」なんて思うやついない。そりゃーずっと自撮り文化の中にいたら慣れるよね。カメラを向けるとスッ•••と顔の角度を変えてキメ顔になるあの感じには盛大な拍手を送りたくなる。プロだ。

で、また遡るけれど、実は20歳以前の私の写真は結構残ってる。

なんでかって祖母がめちゃめちゃ「写真魔」で
初孫である私の写真を撮りまくっていたからだ。

入学式、運動会、学芸祭、お祭りでみこしを担いだ時、旅行に行ったとき、家族でご飯を食べているとき、いつも祖母はカメラを向けた。

友達と歩いていると「ユリちゃーん(本名)」と声がして、振り返るとカメラを構えた祖母がいてパシャっと撮られる。

小学生にもなると、恥ずかしくてもういいよ写真は!と逃げようとするんだけど、素早く先回りして撮られる。自分も一緒に映りたいときはだれか近くにいる人を捕まえてカメラを押し付け、私の腕をぐっとつかんで並んで写真に納まる。

なぜかいつもシャッターが切られる間際に「ユリちゃん、笑わせて」といってきて、ちょっと私が変な顔をしてやると「ふふ」と笑って、自然な良い笑顔でおさまる。
私はというと変な顔をしたあとなので切り替えがうまくいかないまま、ちょっとにやっとした感じで写ることになる。
祖母はひたすらマイペースだった。

当時は「写ルンです」か自前のフィルムカメラなので、全部紙媒体。度々祖母が写真を現像に出しているのを見かけた。
祖母の家にはおびただしい数の写真とアルバムがある。

祖母と最後に写真を撮ったのは成人式だった。

着付けが終わった朝の8時ごろ、美容院を出たら祖父と祖母が待ってた。

振袖を着た私に、祖母はカメラを向けた。その時はもう逃げなかった。私は頑張って笑おうとしたのだけど、やはりカメラにどう映ればいいのかわからない顔でいたと思う。それでも祖母は嬉しそうに私を納めた。

祖父にカメラを渡して、二人で写真を撮った。その時「笑わせて」って言われたかは覚えてない。でもなるべくいい顔をしようと思って撮った。うまく笑えてたかどうか自信はない。

その頃、祖母は外を出歩くのがもうしんどくて、でもどうにか私の着物姿が見たくて頑張って出てきたのが分かった。少しでもいい写真にしたかった。

それが多分最後。

祖母が亡くなってから、私が写った写真はめっきり減ってた。


最初は思ってた。
別に写真なんて、、思い出があればいいし、、と

だけど最近になってちょっと焦りだしている自分がいる。

昔撮った写真を見返すと結局「どうすればいいのか」か「半目」の写真しかないのだ。これはいかがなものか。生きた証がそれしかない。これは自分も写真を残していかないと、なんか半目のふわっとした顔の人間だった証明しか残らない(悪あがきだが)

あと今なら、昔よりまだマシに笑える気がするし、今のうちに若い自分を残しておかなければ。

それでこんなツイートをしてみた。

そうしたら、周りの人たちが(気を遣って)「撮ってあげるよ!」といって私にカメラを向けてくれるようになった。

(どうしたお前死ぬんか、となったらしい)

みんなやさしい。

沖田もノリノリで撮ってくれるようになったのだが、何故かこちらがいい顔をしようとする前に撮ることが多々あり、え、ちょっと待ってと思ってる途中でぱしゃりぱしゃりと撮られ、結局全部中途半端な顔をしていることが度々あるのだが「いい写真」だという。「これがお前だ」と現実を突きつけてるような気分になるが、いい写真ならいいか、、と思うことにしてる。

そんな沖田はだいたいカメラを向けると、大学生の妹バリのキメ顔をしてくる。自撮り慣れしてるのだ、くやしい。

写真といえばそんな思い出。


次は花岡さん。

「バトンタッチ」で。


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