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人を惹きつけるのは自然な姿

先日、カメラマンを務める機会があった。

…と、仰々しく書きはしたが、友人のプロフィール写真をスマホで撮る、という誰にでもできる簡単な撮影だ。

その日は雲一つない青空が広がっていて、晴れやかなプロフィール写真にはうってつけの撮影日和だった。


あらかじめ撮影場所として目星をつけていた公園にたどり着き、その解放感にひたりながら一息つく。しばらく休んだのち、さっそく撮影準備を開始した。

「こんなポーズがいいか?」「角度はこんな感じか?」と談笑しながらテスト感覚でパシャパシャ撮っていく。

30分ほどかけて念入りにシミュレーションを行い、満を持して撮影本番だ。さっき決めたポーズ、さっき決めたアングル、さっき決めた立ち位置で撮影を繰り返す。


しかし、完璧であったはずのシチュエーションで臨んだ撮影は困難を極めた。いまひとつ魅力に欠ける写真だけがフォルダに次々と溜まっていく。

しばらく撮影を続けるも納得のいく写真は撮影できず、シチュエーションを練り直そうか、と僕は山積したフォルダの写真を眺めていた。


その時、一枚の写真が目に留まった。100枚近くは撮影したであろう写真の中で、ひときわ強い輝きを放っていた。

意外なことにその写真は、公園についた直後、シチュエーションを決める際に何の気なしに撮影した一枚だったのだ。

再び撮影に入ってしばらく撮り続けたものの、結局この写真を超える写真を撮影することはできなかった。最終的に採用する写真を決めるときも、異論なくこの写真が選ばれた。


なぜこの写真はこんなにも魅力的に映ったのか。それを考え続けた結果、それは僕たちが自然体で撮影できた写真だからではないか、という結論に至った。

快晴の空の下、広々とした公園に到着したときの僕たちの心は自由な遊び心に溢れ、撮られる側の友人はユニークなポーズを連発していたし、撮る側の僕もさまざまなアングルやポージングを試していた。

そんな中で生まれた奇跡の一枚は、自然なポーズと表情で、見ていてとても気持ちのよい写真だった。


撮影を続ける中、僕たちは自分でも気づかないうちにうまく撮ろう、美しく撮ろう、という気持ちに縛られ、本来の良さを見失っていたのかもしれない。

ありのままの自然体には人を惹きつける力がある。そんなことを写真から学んだような気がした。

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