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自分らしい人生を生きる。





僕は頭が固い。


分かりやすく言えば、応用力がない、機転が利かない、柔軟性がないといった感じだ。



だが、僕は頭が固いことに悲観してはいない。



むしろ、誇りに思っている。



頭が固いのは個性です



世の中には、俗に「要領がいい」と言われる人たちがいる。


あいまいな言葉だが、この文章においては冒頭で挙げた「頭が固い」の逆をイメージして読み進めてほしい。



なんでも無駄なくスピーディーにこなす、そんな印象があるだろう。









学校や会社でそんな人たちを見て、羨ましく思ったことがあるかもしれない。


でも、僕は彼らをみて羨ましいとは思わない。


誤解のないようにお伝えするが、そんな人たちを心から「すごいなあ」と思っているし、その人の誇るべき長所だとも思う。











ただ、自分が目指す場所ではないと思っている。



頭が固いという個性が、僕らしさを生んでいるからだ。










もちろん、これを徹底的に鍛えなおすという手段もあるだろう。


でも、僕はこれにやりがいを見出せない。


頭が固いという自分の個性を捨ててまで、そこを目指そうと思えないのだ。






自分のことは意外とわかっていない!?



「頭が固い」のは悪いことばかりではない。



良いことの代表例を挙げると、


「頭が固い人の気持ちがわかる」



というものだ。








屁理屈に聞こえるかもしれないが、これはれっきとした僕の長所だ。


苦手なものが多く、要領良くもできない。


ゆえに、それらをじっくり時間をかけて克服してきた。










だからこそ、できない気持ちがわかるし、その時の自分の感情もよく覚えている。



それを積み重ねることで、相手の心境を理解する力が鍛えられた。



こんなにも強く自分を形成してくれた「頭が固い」という個性を捨てることは、僕にはできない。


これは自分の性分であり、誇るべきものだ。








そして、そう簡単に変えられるものではないし、変えようと努力してもやりがいや楽しさを感じない。



それなら、今の自分を分析、研究、観察し、ときには心の中で屁理屈も使って良いところを見つけ出してやろうと思ったわけだ。







自分の人生を生きる

「優秀」「要領がいい」「仕事ができる」



昔、こんなことを言われたいと思ったこともあった。



その目標がやりがいや生きがい、楽しさにつながるならそれは素晴らしいことだと思う。









だが、僕の場合、その目標が達成できそうもない自分が嫌になった。



気づいたときには、自分の人生を生きていなかった。


「優秀」になろうと生かされていた。









先ほど挙げた3つの言葉はどれも作られた価値観で、変わりゆくものだ。


「誰よりも長く残業して仕事をする」



これは上記の「優秀」という言葉に当てはまるだろうか?










きっと、時代や世代で回答が分かれるだろう。



そんな、いつ壊れるかわからない価値観で自分らしさを失うのはもったいない。


死ぬ間際に、自分の人生を生きられなかったと後悔したくない。







常々、そう思っている。







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