運命の出会いは本屋さんで!?
僕は、本をいつ、どこで買ったかということを、かなり鮮明に覚えている。
その本との出会いや、その時の心を、何より大切にしている。
書店には、いつでも運命的な出会いがある。
◇◇◇
よく晴れた昼下がり、僕は足取りもかろやかに最寄り駅に向かっていた。
僕はこの日、久しぶりに書店に赴いた。
書店に向かうときはいつも、まだ見ぬ本との出会いに胸が躍る。
昨年までは、家にいることがほとんどないくらい外出するのが好きだった。
そして、書店の前を通るたびに足を運び、新刊や流行りの本をチェックするのが日課だった。
しかし、未曽有の事態によって世の状況は変わり、現在は一週間のほとんどを外界と隔絶された自室で過ごしている。
書店に赴く回数も、めっきり減ってしまった。
そんな中、久方ぶりに書店に向かっている。
胸が躍らないはずがない。
僕が向かったのは、駅の近くにある規模の大きな書店だ。
広大な空間に書架がずらりと並ぶ光景は、やはり圧巻だった。
時間をかけて、人がまばらな通路を練り歩く。
◇◇◇
自粛期間は、通販で本を購入することが多かった。
たしかに、家から出ずに本が手に入るのは便利なのだが、やはり僕は書店で本を購入するのが好きだ。
店内を歩きながら背表紙を見ていると、
「こんな分野の本もあるのか!」
と、毎度発見がある。
視界を覆いつくす本たちを眺めていると、入店するまで予想もできなかった運命的な出会いが必ず待っているのだ。
通販のウェブページでも関連書籍は表示されるが、本との出会いの場としては、やはり書店には及ばないように感じる。
この日も、購入予定だった書籍は2冊だったのだが、書店を出るときには6冊を購入していた。
残りの4冊は、購入予定だった本とは全く関係のないジャンルの本だ。
それらの本はなんというか、そう、一目惚れである。
表紙が素敵だから、タイトルに惹かれて、内容が気になる、など…。
理由はたくさんあるが、とにかく本能的に「好き」なのである。
僕はそういった本を、迷わず買うようにしている。
その本がおもしろいと感じることがあれば、つまらないと感じることもある。
理解できることがあれば、理解できないこともある。
しかし、買った時点でその本を楽しめなくても、無駄な買い物ではない。
その本のことを覚えてさえいれば、いつか「読むべき時」が訪れるからだ。
だからこそ、本能的に「気になる」本や、「好きだ」と思える本を選ぶようにしている。
そういった本に関しては、自分の身の丈に合わない本にもどんどん挑戦する。
飽きたら飽きたで、その本に挑戦できるように学んだり、楽しく読める時が来るのをじっくり待ったりもする。
でも、待ってる間も、心のどこかではその本のことを意識している。
そうすると意外な瞬間に、「読むべき時」が訪れたりする。
これがまた嬉しい。
この本にふさわしい自分に近づけたのかな、と思ったりもする。
こう思えるのも、ひとえにその本のことが好きだからだ。
買わされた本や、好きではない本を買ってもこの感情はなかなか生まれない。
心の中から、だんだんとその本の存在が消えていってしまうだろう。
◇◇◇
液晶画面の中の触れない本では、好き嫌いまでは中々わからない。
カバーの材質、分厚さ、紙質といった要素も、好き嫌いを判別するうえで想像以上に重要だったりする。
本能で「好き」を判断するには、やはり書籍に直接触れるのが一番だ。
今後も、通販で本を買うことはあるだろう。
しかし、書店での出会いや思い出は、何物にも代えがたいものがある。
この世界に書店がある限り、僕が書店に行かなくなることはどうやらなさそうだ。
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