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2023年映画感想No.46:波紋 ※ネタバレあり

世界に対して不満や不安を抱えて生きる個人

ヒューマントラストシネマ渋谷にて鑑賞。荻上直子監督新作。
荻上監督の作品を初めて劇場で観た。キャリア初期の『かもめ食堂』の印象が強く、近作で評判の良かった『彼らが本気で編むときは、』や『川っぺりムコリッタ』は見逃していたのだけど、本作は僕が初期作に感じていた「外部(他者)の存在しない自分たちだけの心地よい世界」という世界観を反転させアップデートしたような作品になっていると感じた。
不満や不安を抱える個人同士は歩み寄ったり助け合う余力がない。その状況のきっかけとして本作では3.11前後の社会情勢が起点になっていて、生きることの漠然とした不安を意識する出来事として当時の疑心暗鬼で不穏な空気を描いていることに説得力を感じた。

水を介して浮かび上がる主人公の人間関係の距離感

3.11の原発事故による放射能汚染に怯える生活を映す冒頭から主人公依子の感じている身の回りからの抑圧と目に見えないものの不安がしっかり描かれている。安心して暮らせないし、そんな自分に味方をしてくれる家族もいない。自分ばかりが犠牲を払って義父の介護や家族の生活の世話をしているのに、周りからは全く尊重されていないというストレスや孤独が端々に垣間見える。筒井真理子が時折見せる蔑視や敵視のこもった刺すような視線が不穏で怖い。
本作では水が重要なモチーフになっていて、水を介した演出によって依子の人への距離感が象徴的に浮かび上がる。放射能が混ざっているという噂への不安から水道水を避けて買ってきた水を家族と分け合うのだけど、介護にストレスを抱える祖父にはこっそり水道水を飲ませる。夫の趣味は水を使うガーデニングであり、そんな彼が雨の日に水を流したままその庭から消える。
数年後、依子は新興宗教にハマって水を買いまくっている。庭は「水を使わないで水を表す庭園形式」の枯山水に造り替えられている。水無き庭によって夫の痕跡は排除され、綺麗な水に秩序を求めているのだけど、明らかにすがるものがないと生きていけない様子が危うい。
枯山水は彼女の心の水面であり、整備することで心を整え、それを乱すものは敵として見做される。

キャパオーバーになる日常のストレス

隣人関係やパート先の接客トラブルなど細々としたストレスが絶えない生活をなんとか信仰によって平穏にすごそうとしているのだけど、そんな生活に夫が帰ってきてストレスのキャパが完全に超えてしまうところが見ていて息苦しくも面白い。どの面さげて帰ってきたんだという夫が家の中でどんどん好き勝手に振る舞い出す、そういう鈍感で身勝手な人間と付き合わなければいけないストレスが依子でなくともめちゃめちゃイライラするバランスで描かれていてまんまと不快に感じながら観てしまった。
どう考えてもとっとと追い出すべきだと思うのだけど一応彼女の信じる宗教的にはどんな人でも拒まず受け入れなさいとされていて、元々のストレスを抱え込んでしまう性格と併せて「なんで私がこんな我慢しなきゃならないのか」という鬱憤の積み重なりが手に取るようにわかる。
「どうすればいいですかねえ」と相談に行った教祖からは「寛容さを示す時です」とすっきりしないアドバイスをされ、明らかにあんまり納得できないのを「耐えるためにこの特別な水を使って」と搾取のロジックに利用されてしまう。
家に帰った依子が夫から話しかけられるストレスにただただ頭の上で水を振りかけまくって凌ごうとするのがどう考えても何も解決しなくて笑ってしまうのだけど、水晶玉で夫を撲殺することを想像したりなど主人公の中にははっきりと殺意に近い感情があって、その行き場のなさに苦しんでいる。

観客の思っていることを言ってくれる木野花

だからこそ抱え込むことしかできない日々の不満に対して彼女が欲しかった解決策を後押ししてくれる木野花演じるパート先の清掃員と仲良くなって行くのも、ずっと気持ちのやり場を探している依子の依存先として必然性がある。木野花とのシスターフッドが市民プールという水場を通じて描かれるところに依子が木野花から受け取る影響(=波紋)を信頼していることが感じられる。
木野花のみんな思ってたことを言ってくれる役がめちゃめちゃ明快なので主人公と同じように観ているこちらも彼女のアドバイスでスカッとしてしまうのだけど、彼女は「あなたが正しい」というのではなく「人間だったら復讐したくなったり、正しくないことを考えてしまうこともある」というスタンスがとても地に足のついた人間臭さで良かった。

依子の反撃~どちらの都合を優先させるかの主導権争い

それまで様々な人の「自分だけ良ければいい」イズムに抑圧されてきた依子が木野花に仕返しを正当化してもらったことで「あなたたちも私の都合を慮ってくださいね」と逆襲できるようになる展開もどこかピカレスクロマン的な痛快さがある。隣人の奥さんや職場のクレーマーなど図太い物言いでこちらを打ち負かそうとしてくる人たちが依子の「夫がガンなの」の一言で何も言えなくなるのがすごい雑な論破の仕方で面白い。夫に対しても治療費を取引材料にして支配していくなど、自分の都合に引き寄せることで依子は生きやすさを確保していく。
水の上で対峙した相手に発言の波紋が広がるような会話演出によって一方的な主導権を奪いに行こうとしている様子が映像的にも感じられる。

"受け入れがたい他者"として現れる息子の恋人

状況を自分で支配して自分を良く見せることができるところにあるある種の全能感によって依子は自己否定されるストレスを遠ざけられるようになるのだけど、そういう依子にとっての快適さで成り立っている秩序を乱す存在として息子が恋人を連れて現れる展開が切れ味鋭い。
思うに一番辛い時期に近くにいたからこそ息子は依子にとって最も味方、理解者という位置付けの存在なのだろうと思う。だからこそ依子は息子の人生に自分の価値観を投影したがるし、自分が認められないものを息子が選ぶことを受け入れられない。
年頃の一人息子が実家に連れてくる女性なんて明らかに恋人関係なのに「友達を連れてくるなら言ってよ」なんて表現するところからすでに認めたくない感全開で感じ悪い。その前提には差別意識があり、障害がある恋人の全てが依子からは不快に見えるという描写が極めてギスギスと積み重なっていくのが場面としてはとても面白かった。出てくる情報全てを否定的に受け取ってひたすら息子の恋人には不適格だと判断しているような見下す視線が終始感じ悪い。
障害を見下しているから「会話ができない」ことを嫌悪感たっぷりに見つめ、会話ができないから理解することも諦めている。そういう相手が息子より年上ということにも露骨に否定的なリアクションをとる。そうやって認め難い相手に歩み寄らなければいけないことの不快感を水をめぐる会話で浮かび上がらせるのも上手い。拒絶感をモリモリ強めていく依子が自分への隠し事や陰口をされているかのように息子カップルの手話のやりとりを見つめる描写も敵意むき出しが過ぎる見せ方に笑ってしまった。
依子は自分たちの世界から他者である息子の恋人を追い出そうとするのだけど、まさに弱者だと見下していた存在から「お前なんかに私のことは否定できませんよ(意訳)」と反撃されてしまう。だから今度は夫の時と同じように息子の恋人の弱者属性を利用することで自分の都合に引き寄せて折り合いをつけようとするのだけど、それが結果として彼女の都合良く成り立っていた「快適なバランス」を決定的に否定する展開を呼んでしまう。

互いを尊重し、割り切ることで生まれる生きさすさ

そうやって自分の都合の良い範囲内で状況を支配することに限界を迎えた依子が他者への想像力を持つことで互いにとっての生きやすさに立ち返って行くのだけど、その大きな転機になる倒れた木野花の家に行く場面がとても良かった。
日常の理不尽から自分を守ることを依子に教えた木野花が「誰だってそうやって生きているだけかも」と話すことが物事を俯瞰するきっかけになるのだけど、そんな木野花自身が最も不条理による痛みを乗り越えられないまま生きている人であり、まさに利他的な優しさを象徴する人の多面性に触れた依子が初めて利他的な動機で他者の人生に歩み寄る。
彼女が木野花から預かった亀を庭に歩かせる様子からは自分の世界に誰かを受け入れられるようになる予感が感じられるし、その亀たちを水槽に戻してあげるのが水という人それぞれの世界を尊重できるようになっていく演出として温かい。
そうやって自分だけが良い思いをするためのエゴのぶつかり合いから、他者を尊重することで互いにとっての生きやすい世界を見つけられるようになっていく。庭で倒れた夫を助けるのも、夫の棺が庭に倒れたのを笑うのも彼女が自分の世界に他者の存在を認めることで解放されていくプロセスに映る。
ラストでは土砂降りの雨を全身に浴びながら庭の枯山水をかき乱してフラメンコを踊る依子を映す。かつては放射能の雨への不安から追いつめられていた依子が漠然とした不安や自分の周りに広がる世界からの波紋を受け入れられる覚悟ができたようであり、不自然なまでのお天気雨には晴れやかな依子の内心が重なる。

あとこれは余談なのだけど、依子が歯磨きするとき歯磨き粉使わないどころか歯ブラシ濡らしさえしないのにビビった。
あと卵が安い。

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