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2023年映画感想No.15:ドリーム・ホース(原題『Dream Horse』)※ネタバレあり

「夢」という人生の希望

キネカ大森にて鑑賞。
ウェールズの田舎で退屈な人生の晩年を迎えつつある主婦のジャンが競走馬を通じて人生の目標を取り戻そうとする話。
実話ベースということもあってか結果論的な良い話として「なんだかんだ丸く収まりました」となる部分も結構あるのだけど、一人の主婦の「人生をより良くしたい」というバイタリティが小さな村全体の希望になるような描写からは「人生には夢が必要だ」という本作のテーマがポジティブに感じられて良かった。

地元で年老いることの閉塞感

冒頭から描かれるジャンのダラダラと続く地獄のような日常がコミカルだけど切実にキツくて、日常にやりがいや目標が欲しくなる動機をスマートに示している。
朝起きてスーパーのパートに行き、老いた両親と夫の世話をするだけの生活の中で「私の人生って何?」というアイデンティティクライシスに陥っており、かつて賞を取ったピジョンレースのように情熱を注げる対象も見失っている。農業をやりたかった夫が日がな一日テレビの前で農業のHow to ビデオみたいな映像に延々文句言ってるのとかうだつが上がらない中年描写として切れ味抜群なのだけど、そうやって「何にもなれなかった自分」に向き合えない夫からも人間として扱われないジャンの苦しみは結構深刻に思える。
そういう身近な人々に始まりこの村全体が自分たちの可能性を諦めたような共同体として主人公の人生を閉じ込めていて、日々酒を飲み漫然と生きることに満足している人たちが新しいことをしようとする主人公夫婦に奇異な目を向ける描写があるのも上手い。「この場所も悪くない、鳩が戻ってくるから」という壁の落書きはこの場所で死を待つだけの人生を肯定的に捉えている村の価値観そのものであり、同時に主人公にとっては過去の栄光でもある。前に進もうとする主人公がそれを壊して馬小屋を建てるのは象徴的に感じる。

全員で救われる物語の爽やかさ

対立こそ無いけれど停滞した村の雰囲気が主人公の前向きな行動を際立てており、ある種の囚人のジレンマを突破する「最初の一人」としてジャンの情熱が連鎖していくのがもうすでに「人生には夢が必要」ということを逆説している。やっぱりみんなそういうものが欲しかったという描き方になっていることで主人公だけが救われる話にならないのが良い。
「ドリームアライアンス」という馬はこの村に生きる人々の希望になっていくわけだけど、夢をシェアすることで全員が「ここでしか生きられなかった」という呪いから解放される展開に繋がるのがとても良いなと思う。
レース前後のバスの車内の場面なんかは人生の第二の青春という感じで本当に楽しそうで微笑ましかった。新しいことに挑戦することで歳をとってもこんなに楽しいことがあるんだ、という希望が感じられて溢れる多幸感にこちらまで幸せな気持ちになった。

馬の強さの根拠のなさ~作劇としての弱さ

ドリームアライアンスの強さに理屈がなく、調教師に預けての育成に主人公たちがあまり関わっていないこともあってレースの勝つか負けるかの展開にロジックが感じられないのが見せ場をかなり図式的にしてしまっている。主人公と同じスピリット、のゴリ押しで勝てるほどレースに複雑な駆け引きの要素も無く「勝てるかどうか」でサスペンスを作っている割に勝敗の結果に特に理由が無い。
その割には重要なレースにおいて「勝つこと」に物語の展開の大きな要素を託す場面が多く、全部都合の良い結果論のように見えてしまうのがやや残念だった。馬主組合内の価値観の対立や主人公のエゴイスティックな物事の進め方がドリームアライアンスの勝利によって不問にされ過ぎている気がする。

結果論としてのハッピーエンド

売却の話をジャンの独断で無視した結果ドリームアライアンスは安楽死一歩手前の大怪我をしてしまうわけなのだけど、その選択の失敗について全く検証されないままラストレースに出るかどうかの会議でまた同じように独りよがりな意見を主張するのがあまりにも自分勝手に見える。そこにこそ主人公夫婦の関係の物語や「みんなで勝ちましょう」というこの村全体のエンパワメントを描き込めたのではと感じるのだけど、特に議論に結論を出さないままラストレースが始まってしまったので結果論の印象だけが強まってしまった。「馬主組合の人たちの言うこともわかる」と劇中に言及していることから必ずしもどちらかに利のある主張では無いのだけど、だからこそ馬主組合というこの村だからこその民主的システムを尊重することで全員にとってベターな結論が導き出せた、という展開を描くべきだったのではと思う。
結果的にうまく行きました、良かった良かった、という現実の美談を都合良く引用した物語になってしまっているように感じるし、ジャンの独善的な決断の数々を良きものとして描くのは結果として夢を持つことを盲目的に肯定しすぎるバランスに見えてしまった。
夫の物語やハワードの物語も「結果正しかった」で全て有耶無耶にされているような描かれ方になっていて、もう少しドラマとして一つ一つを丁寧に拾い上げる作劇は無かったものかと思った。正論で諭す夫に対してジャンが「よくも」と吐き捨てるところなど感じが悪いままフォローされないし、ハワードも最後に大きな金額を賭けるのは家族に対して不誠実に見えてしまう。描写が掘り下げ不足になっているために中途半端な印象のままラストの大団円で上手く行った感じになってしまったのがもったいなかった。

ルーツやアイデンティティの肯定

この村の人たちがドリームアライアンスを通じて自分たちのルーツやアイデンティティを肯定できるようになったことを歌で表現するのはとても良かった。エンドロール直前にはそれこそがこの物語の最も美しい側面だと確かめるように実際のモデルになった本人たちも交えて全員で合唱する。
作劇のバランスで「ドリームアライアンスがたまたまレースで勝てたからそう言えるだけでは」という印象の拭えない物語にはなってしまっているけれど、全てを失う覚悟で夢見たからこそのハッピーエンドだと思えば彼らの人生が幸福に開けたことを祝福したい気持ちにさせられるラストでもあった。

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