2023年映画感想No.69:君は行く先を知らない(原題『Hit the Road』) ※ネタバレあり
ロードムービーにおける演繹性と帰納性
ヒューマントラストシネマ有楽町にて鑑賞。監督はジャファル・パナヒの長男パナー・パナヒ。2021年の東京フィルメックスで上映された際は良い評判を聞きながらも見逃していたのでこうして一般公開に至ってとても嬉しい。
「どう旅が転がっていくのか」と「旅がどこに帰結するのか」というロードムービーの構成における演繹性と帰納性の両方で物語を推進する設定があり、観ている時の楽しさと観終わったあとの余韻の両方に素晴らしさのある作品だった。
まずは車に乗っている4人家族の見せ方がとても愉快で、ユーモアとドラマのバランスが素晴らしい。神妙な面持ちの大人たちの中に常にうるさい幼い次男がいることで家族が抱える深刻な気分が結構グチャグチャにかき回されているのだけど、その空気の読めなさが鬱陶しくもあり救いでもあるというバランスが映画自体の魅力にもなっている。
牧歌的な子供映画かと思いきや携帯を捨てたり追っ手を気にしたりサスペンスを匂わせる描写があることで中々明かされない旅の目的に対する観客の興味を強めているところも上手い。
家族が分断される予感の演出
この家族は長男の国外逃亡に向かう道中であり、分断される家族の予感は映画の冒頭からしっかりと関係性の中に示唆されている。旅の目的が明らかになる前から長男は家族の中で一人浮いて見えるように描かれていて、その部分を意識させることが場面自体を面白くしている上にちゃんと最終的な物語のテーマにも直結している。
家族は生活を犠牲にしてまで長男を国外に逃がそうとしているのだけど、そこまでしてもそれに対する割り切れない思いが伝わってくるし、それによって家族で過ごす最後の時間がギクシャクしてしまうのが切ない。
家族の立ち位置に象徴されるもの
家庭内の各キャラクターの役割がそのままイランの各世代の置かれた状況を象徴しているという部分では父親の描き方が味わい深い。
父親は足を骨折して車の運転すらできない”無力な存在”として終始演出されている。息子と生き別れるという状況にも諦観を抱えている。国外に行ってしまう息子を止められないということが「その場から動けない」という純肉体的な演出によって描かれる瞬間が何度もある。
劇中ところどころで印象的に切り取られる仏頂面に彼の無力な男らしさが表れているように感じられるのだけど、そんな彼が旅立つ息子に対してとても不器用に歩み寄ろうとする川辺の会話が思い返すととても切ない。「泣いてもいいぞ」という言葉が彼なりに精一杯「俺も寂しい」と伝えていたのだと思う。
一方の母親はなんとか家族を繋ぎ留めたいと思っている人物なのだけど、だからこそ深い悲しみが溢れる瞬間がある。
次男に浮かび上がるイノセンスの黄昏
何も知らない次男のキャラクターもイノセンスでいられる最後の季節として描かれているように感じられる。彼がいることで映画がユーモラスに展開していくのだけど、最後まで観るとそこにもきちんと寓話としての設定的必然があって素晴らしい。
映画のファーストカットから劇伴にシンクロして次男が父のギプスのピアノの絵を触る描写があるなど、無意識に次男のイノセンスが大人の事情を感受しているかのような瞬間がある。一方で彼は常にイランの美しい景色に無邪気な感謝を捧げるのだけど、それもまた国によって引き裂かれる一家の状況に対する皮肉にもなっている。
長男が行ってしまった直後に父親と一緒に夜空を眺めるシーンは次男の純粋さが家族に残された唯一の救いであるかのように感じられて心温まる場面なのだけど、それを聞く母親が静かに泣いていることでこのかけがえのない瞬間の先にも別れが待っているようにも感じられて切ない。演出的にも「今、確かに同じものを見ている」という関係を描いている一方で、イランにおいてそれは常に一瞬の希望なのかもしれない。
ラストには次男が”別れ”を経験する場面になっていて、それがイランで生きることの通過儀礼であるかのような印象を残す。残されるしかない旧世代の悲しみと、待っている別れに向かって進むしかない新世代のサウダージの予感が前に進みながらも画面の中では同じ場所にとどまり続けるショットで車を捉えるラストカットに浮かび上がる。
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