2023年映画感想No.90:ファースト・カウ(原題『First cow』 ※ネタバレあり
寄る辺なさを抱える登場人物たちによるポスト西部劇
シネリーブル池袋にて鑑賞。
「鳥なら巣 蜘蛛なら糸 人間なら友情」という冒頭の引用句から、心の居場所についての映画であることが予感されているように感じた。続くファーストカットの川に浮かぶ貿易船がゆっくりと画面を横切るショットは、根を張る場所を持たない登場人物たちの物語に響いているように映る。
ケリー・ライカート監督の映画では自分がこの世界において何者であるかを見失いかけていたり、社会における自分の居場所が不確かな状態の人物が描かれることが多いけれど、本作も西部劇というジャンルでは役割がなかった人物たちが無害な犯罪でアメリカンドリームを目指す物語であり、ポスト西部劇的な視点は物語世界において小さな存在である登場人物たちのよるべない立場だからこそのものでもあるように思う。
アンチマチズモ的価値観による慎ましい成り上がり劇
料理人のクッキーと中国人移民のキング・ルーが地域に初めてきた乳牛からミルクを盗んで作ったドーナッツで成功していくという牧歌的な主題が面白いのだけど、乳搾りという非暴力的な手段、料理を使った非男性主義的な成り上がりという本質的に誰も損をしない方法で主人公たちが社会の居場所を見つける物語になっていて、個人を排斥しない社会のあり方を問い直すような眼差しがきちんと感じられる内容になっているところがライカート監督作らしい手触りだった。
開拓者たちに料理人として同行しているクッキーは料理人というアイデンティティを認めてもらえず酷い扱いを受けているし、キング・ルーも全てを失った状態で映画に登場する。そうやって男らしさの世界で居場所がなかった彼らが牛乳を盗んで一発逆転を目論む物語であり、酪農と料理というアンチマチズモ的な価値観による慎ましい成り上がりがある。
そうやって弱い立場の男たちが力を合わせて危険な橋を渡る物語が最後に帰結するのは「成功」ではなく「良心」であるという点も良かった。そうとしか生きられない自分自身のままでなんとか存在証明を求める切実さと、それが報われず結局社会を追われることになる非情さの狭間でそれでも最後には友情という居場所が残るという着地が優しい。
素直に人を信じるクッキーと絶妙に信用できないキング・ルーというバディ
あんまり細かいこと気にせず成り行きで人助けをするクッキーの素朴な優しさとキング・ルーの絶妙に信用できない異物感がどういう方向に向かっていくのか出会った時点では全然わからないのがまずは面白い。夜の場面がすごい暗くて、それもまた映っている人物を観客に信用させない演出として機能しているように感じる。
変な出会い方から唐突に別れた二人が何年後かにもう一度酒場で再会する場面の演出もすごい変で笑った。着飾ったキング・ルーがこれまた絶妙に胡散臭くて、どこまでクッキーを対等な友人に見ているのかいまいちわからない。河原でクッキーが作業している傍らでずっと日向ぼっこしているキング・ルーとか、ミルクを盗む段取りで実行役をクッキーにやらせたり木に登るのを雑に手伝わせたりするキング・ルーとか、ちょこちょことさりげない感じ悪さが見え隠れする演出が絶妙。特に逃げ足の速さがいざとなれば自分だけが助かることを優先するタイプなのではという信用できなさをずっと響かせている感じがした。クッキーもホイホイ人を信用するタイプなのでいつか裏切られるんじゃないかと結構心配になる。
ヒューマニズムに希望を託すラスト~なけなしの良心に従うことの尊さ
野心家のキング・ルーが金儲けに向かっていくのがまるでクッキーの純粋さや能力を利用しているようにも見えるのだけど、成功していく中でちゃんと料理という才能を認められていくクッキーに対してより「何者でもない」という自分を自覚しているような瞬間が見えるのがキング・ルーを単なる卑怯者として突き放しきらないバランスになっているように感じた。
純粋で利他的な善意の人であるクッキーに対してキング・ルーは利害と友情の狭間で揺れているようにも見えるし、実際自分の利益を考えている部分もあるのだと思う。キング・ルーが実利主義的で姑息にも映るからこそ二人の関係には一定の不確かさが常に横たわっているのだけど、キング・ルーを見捨てることなんて考えもせずどれだけ自分が傷ついても友を思うクッキーの存在こそがキング・ルーの手の中にある最も大切なものになり、それが最後に利益だけを手にして孤独に生きることよりも目の前の傷ついた友人を守ることのほうが大切なんだというキング・ルーの選択に繋がるのがとても感動的だった。本当に最後の最後まで魔がさすような逡巡が見える演出になっていて、だからこそ誰も見ていない状況で良心に従うことの尊さが何倍にも感動的に映る。
何者でもないまま死んでいったことを映画の結末にせず、友情によって救われる物語としてヒューマニズムに希望を託して映画を終わらせるライカートの優しさに主人公たちと同じように多くを持たない存在である僕のような人間はどうしたって心を揺さぶられてしまう。ラストに込み上げる余韻。素晴らしかった。