2023年映画感想No.55:生きているのはひまつぶし ※ネタバレあり
閉塞的な生活と絵を描くことの意味
新宿K's cinemaで開催中の「大田原愚豚舎旗揚げ十周年 全作品特集上映【大田原愚豚舎の世界 10th Anniversary】」にて鑑賞。
コロナの緊急事態宣言中に部屋から出られなかった渡辺紘文監督の日常を映した大田原愚豚舎初のドキュメンタリー映画。
僕自身、緊急事態宣言で家に引きこもっていた期間はずっと絵日記を描いていたこともあって、あの閉塞的な日々の中で絵を描くことでなんとか精神の安定を保とうとする渡辺監督の姿にとても共感した。何かに没頭することで少しだけ現実を忘れられるような感覚と、絵の中でだけは少しだけ心が自由になる感覚がとても切実に切り取られていたと思う。この映画では絵を描く場面だけカラーの映像になるのだけど、まさにモノクロな生活の中で絵を通じて色鮮やかな世界を思い出しているかのようだった。
どこにも行けない部屋の中で見つめる人と人との繋がり
絵を描くことが緊急事態宣言下の生活においてある種の救いとなっている一方で、それだけでは満たされない映画監督というアイデンティティの欠落がグッと浮かび上がってくるような内容でもある。
映画の構成としては絵を描くことも含めて渡辺監督の部屋の中での生活がフィックスのカメラによって淡々と切り取られていくのだけど、ひたすら画面の構図が変わらないことでその場所に閉じ込められているような印象がどんどん強まってくる。(絵を描くカラーの場面はカメラワークにも変化があり、それが絵を描くことの意味をより際立てているようにも感じられる)
時折差し込まれる人と人との繋がりは渡辺監督が映画を通じて作り上げてきたものであり、だからこそその人たちと映画が作れないという状況自体に映画が作れなくなった苦しさや今後また映画が作れるのかという不安、なによりまたこの人たちと映画が作りたいという渇望が滲んで見える。
特に劇中何回かある盟友バン・ウヒョンさんと電話する場面は、バンさんと離れ離れになるということが大田原愚豚舎の映画作りにおいても決定的な変化を意味するからこそその状況の切なさがググッと前に出てくるように感じられるのだけど、同時にああやって電話で変わり映えもない近況を話して笑い合えることになんとか救われているような感覚もめちゃめちゃ生々しくて胸に迫った。
あんまり大丈夫じゃないけど話したら少しだけ大丈夫になるあの感覚を久しぶりに思い出したし、確かにそれは今でも思い返す「緊急事態宣言下のコロナ禍のリアル」だったと思う。
"映画"を取り戻すラスト
その人と人との繋がりこそがまさに渡辺監督にとっての映画そのものでもあるからこそ、そこでの会話や繋がりによって渡辺監督自身も自分の大切なものを改めて確認し直しているようにも見える。そしてそれが「映画が作れない」という状況の中で「それでも映画が撮りたい」というもがきのようにカメラだけが回されているこの映画自体に映画としての物語を吹き込んでいくかのようで、二重三重に感動させられる。
ラストではそうやってまるで監督自身の映画を再定義するかのようだった日常の先に待っていた新しい仲間との新しい映画作りが映し出される。「映画を作ること」と「大田原の人たちとの繋がり」という「渡辺監督にとっての映画」が戻ってきたことを示す光景がハッピーエンドとしてとても感動的で、僕は大田原愚豚舎の映画で初めてストレートに泣いてしまった。
渡辺監督がいかに「映画を撮らなければいけない人」であるのかがヒシヒシと感じられる一作で、だからこそ大田原愚豚舎は映画を作り続けるのだと思う。映画を作り、映画館でかけることにこだわり続けている大田原愚豚舎の10周年記念の特集でこの映画を観れたことにもなんだかグッと来てしまうし、この作品を経て観る大田原愚豚舎の作品がより楽しみになった。
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