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【心に刻まれる恩師の言葉】『絶対』はないんだ!諦めるな

こんにちは!コンテンツディレクター たかおみきよです☆

私はコンテンツ制作という仕事柄…いや、それ以前から自他共に認める【言葉オタク】です。
日本語外国語問わずに、違和感を感じる言葉にはツッコむし、気に入った言葉はメモります(笑)

そんな私の胸に、今も深く刻まれているのは恩師のこの言葉

「絶対はない」

私の人生には欠かせないこの言葉について、恩師への感謝とともにお話ししたいと思います。


■「絶対はない」なんて絶対嘘だと思っていた私

私は都内の中高一貫校に通っていました。

入学したばかりの中学1年生。
ついこの間まで小学生だった私達は、思い出すのも恥ずかしくなるほど、子どもだったと思います。

そんな私達をまとめてくださったのが、武道系部活の顧問でもある、担任N先生。
見た目からして武道家!という先生でしたが、笑顔がとても優しい先生でした。


そして、先生が話したこの言葉が、なんとなーく私の記憶に残ることに。

「『絶対』なんてな、存在しないんだよ」

この言葉を耳にする前、集中力のない私は上の空真っ最中(笑)なのに、なぜだかこの言葉に吸い込まれました。
先生が話す意味はこう。

「『絶対無理』『絶対あり得ない』そんなのやってみなきゃわからないだろ。根拠がないのに、絶対なんて使うなよ」


一見お説教のようなセリフですが、実はこれ、お説教ではありません。先生が競馬場で体験したことについての雑談(笑)
だからか私は、「面白い話」として、この言葉を記憶していたんです。

そんなある日、家族でドライブ中に、私はこの言葉の話題を出しました。

「でねー『絶対はない!』なんて言うんだよー!嘘だよねー!絶対無理なときってあるよねー!本当、ウケたー!」

その時、第一声を発したのは、我が家で空気的存在だった(笑)父!
私の話に首を突っ込むことなんてなかった父が、こう言い放ちました。

「先生の言ってること、間違ってないと思う。笑うな。」

みんなに面白い話をしたつもりが、怒られてポカーンな私。
しかし、それでもなお、私はこの言葉の深い意味に気づいていませんでした。

ドンマイ、中1の私。

■「絶対はない」を信じてプチ逆転

その後、楽しかった中学生、勉強ができなかった高校生と、私は「絶対はない」どころか、「絶対無理」と諦める連続。
勉強とか、恋愛とか、夢とか……

そんな中、高校3年生に。そう、大学受験です。
勉強が本当にできなかった私は、AO入試を選択しました。
小論文と面接で自分をアピールし、入学の可否が決まる受験方法です。

作文だけには自信があったので、夏休み中は毎日高校の図書館にこもり。
書いては国語の先生に添削依頼を繰り返し、がむしゃらに書いて書いて書きまくりました。


その結果、第一志望の一次選考通過!
あとは大学側との面接のみです。

しかし、高校時代、退学させられなかったのが不思議なほど、欠席と遅刻を繰り返していた私。
大学の面接ではそこを指摘され、当然いい回答も浮かばないまま終了。結果を待たずとも不合格なのは明確でした。


そこからの私は、諦めモード全開。「絶対無理」を掲げて歩きながら、大学受験を諦めていました。でも、そのとき耳にしたのが

「絶対はない」

実は、国語教師だった担任の先生も、恩師N先生と同じ言葉を口ずさんだのです。
そのとき初めて、N先生の言葉を笑った私を恥じました。

そして私はAO入試リベンジで、第二志望に合格。
しかし、これはこの言葉を武器に持った私の、ほんの小さな逆転?1ポイントに満たない勝ち点に過ぎませんでした。

■「絶対はない」を引き下げて、いざ大学へ

都内の女子大に入学した私。
人文学部だったので、文章をひたすら書く日々でした。

そんなある日、出欠を取らないことをいいことに2〜3回しか出席しなかった哲学の試験の日。
毎回資料はもらってから退席していたので、余裕と踏んでいましたが、試験内容に愕然。

「授業中に取り上げたマザーテレサか杉原千畝のいずれかについて、学んだことを述べなさい。」
以上。


えーー。
授業ではマザーテレサさんと杉原千畝さん、この二人の偉人について、前半後半に分けて取り上げていました。

マザーテレサさんも杉原千畝さんも、各初回の授業に出てはいたものの、私のノートは空白。
もちろんプリントには、なんのメモ書きもないし、記載されているのも授業の目次程度。テキストもない。

あっ、終わった。絶対無理だわ。必修だから、また来年もか。
とシャーペンを置きかけたのですが、「絶対はないな」とふいに思ったんです。

私は初回に観たビデオの内容を頼りに、自分の思ったことを書きました。
歴史的な年号もなく、ただひたすら述べたんです。

…あろうことか、マザーテレサさんの批判を…


あのマザーテレサです。
天使のような奉仕活動をし、ノーベル平和賞も受賞されている。

そんな偉大な人を、あろうことか否定しました。


その内容はこう。

・マザーテレサが開設した「死を待つ人の家」は、果たして幸福な最期を生み出したのか、疑問に感じた。

・無機質なベッドの上で最期を他人に看取られるのが幸せという考えは、エゴではないか

・病で路上に倒れこんでいた人は、死を待つ人の家に連れてこられても、薬ももらえない。
あのまま路上に倒れていたら、何日も苦しむことなく死を迎えることができたかもしれないのに。
家族だっていたかもしれない。
薬代を稼ぎに出かけていて、帰ってきたとき病の家族が居なくなっていたら、大切な人の最期にも立ち会えない。

もう、やけくそでした。批判、批判の嵐。

とはいえ、私は大学入学前からマザーテレサという人が好きでした。
彼女の功績も知っていた。その上で「死を待つ人の家」に対して自分が抱いた素直な疑問だけをひたすら紙にぶつけました。


「絶対はない」

こうして諦めなかった結果、私は最高ランクの成績を取りました。
全出席の友人は単位ギリギリの低い成績だったようで、私との成績の差に抗議。

でも先生は、学期末の授業で私の小論文の一部を発表してくれるほど、しっかり評価の旨を語ってくださいました。


しかし、諦めなかったこの結果は、ここで終わりませんでした。

その冬、とある事故で入院中の私に、一通のハガキが。
見覚えがない、大学講師からのお見舞いの手紙でした。

その文末には、「私のゼミに来てください」と。


これまで学業で認められることがなかった私は、嬉しくて嬉しくて。
進学するゼミはすでに決めていましたが、掛け持ちをしました(笑)


さらに、私の今につながる出会いもありました。
大学のパンフレット用のインタビューオファーです。

まさか!高校まで落ちこぼれの私が!

恐る恐るゼミの先生に、選考の理由を聞いてみると……
やはりあのマザーテレサさんについての小論文が評価されてとのことでした。

私なら、大学生活の魅力を伝わる語りをしてくれるだろうと。緊張しつつも、嬉しい大抜擢。


迎えたインタビュー当日は、ライターさんの前でドキドキが止まりません。
しかし、緊張をほぐすように、私の言葉を引き出してくれるライターさん。


出来上がったパンフレットを見て、一字一句と嘘偽りのない私の言葉が、目の前に美しく収まっていました。
そこで私は心に決めたんです。


言葉で真実を伝える人になろうと。


こうして迎えた1年後の就活。希望の広告業界は、完敗。
出版ではなく、短いフレーズが大事になる広告文章を考えるという夢は儚く砕け散ったかのように思いました。

そしてアパレルに内定…
しかし私は「これでいいのか?」と自問自答。
まだまだ若い。絶対無理だと諦めるには、早すぎないか?

アパレルの内定は、辞退しました。

こうして私は回り道に回り道を重ね、今。
コンテンツ制作者として、夢だった「言葉で真実を伝える人」になれました。

■「絶対はない」が欠かせない今

4年ほど前、母校に訪問した際、再会したN先生に開口一番伝えたこの言葉。

「先生がお話ししてくださった『絶対はない』というお言葉に、私は今も救われています」


N先生は少し照れながら
「高尾たちにもその話したかー!実は今でもするんだよ。よく覚えてたなー」
その時の先生の笑顔が加わって、私の中で『絶対はない』という言葉はさらに強くなりました。

先生、忘れるはずがありません。
初めて挫折しないことを気づかせてくれたこの言葉は、今でも諦めかけた私を奮い立たせてくれます。

仕事でも人生でも
そして今は、やんちゃ盛りな息子の子育てでも……

フリーランスとして6年間走り続けられたのも、諦める直前にこの言葉が頭をよぎるからです。

先生、素敵なことばを、ありがとうございました。

#君のことばに救われた

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たかお みきよ |コンテンツディレクター【フリーランス母】
【コンテンツディレクター|たかおみきよ】 WEB企画、CS、反響営業出身のコンテンツディレクター👓 ・コンテンツ制作全般(企画/編集/執筆) ・WEB集客コンサルティング WEB集客 でお悩みの方、お気軽にご相談ください^_^