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幸せにも分散投資を考える
さて今回は私の年収と幸せの話をしようと思います。
かつて私は年収1000万円の時期がありました
当時の内訳をお話しすると、おおよそ給与でもらっていた金額が全体の7割ほど。
それ以外の個人での取引が3割ほどという感じです。
個人だけでも年間 2〜300万円ほどはこの数年、収入がありました。
ただ、年収が上がるにつれて生活レベルも上げて、自分にプレッシャーをかけるような生活をしていたために、
実際に溜まった貯金は100万円ちょっと。
働かないと生活できないから働けるし、稼ぐためには自分に対してもっと投資をする気持ちになる。
この好循環を期待して生活をしていました。
事実、成果は一定程度出て、個人として仕事もできるし会社では役職がついたりなど、
傍目から見たら優秀そうな人にきっと見えていたんだと思います。
私自身の年収バブルが弾けた時
年収1000万円以上、となると想像に難くないと思いますが忙しくなります。
当時の私は、ほぼ毎日何かしらの仕事をしていましたし、仕事以外の時間はほとんど意識的にとらない生活をしていました。
ワーカーホリック、と何度呼ばれたことは分かりません。
自分でもそう思っていました。
仕事は好きだし、やれば成果に繋がるし、自分の戦略ともマッチしているし、好循環が回っていたのは事実です。
たとえば、かの有名な Amazon も売上が上がって生み出された利益は全て投資に回して事業の成長を作ってきたというじゃないですか。
私もその状態でした。
しかし、ある日、私の体は悲鳴を挙げ、身体的な異常が出るようになり、この生活は終止符を打たれることになりました。
充実したキャリア、他の人からの賞賛、会社での立場、自分に対する信頼。それら全てが自分の手から離れていく感覚がありました。
私からすると、さまざまな事情があり、一生懸命やったけれども、最終的には立ち止まることを余儀なくされました。
まさにここで、1個人として、学生時代から積み重ねてきて、再投資を重ねてきた私自身のバブルはこのタイミングで弾けたのです。
バブルが弾けて初めて、かつての私は虚構の幸せを作り出していたことに気づく
バブルが弾けた後、私に残ったのは
なけなしの100万円の貯金と400万円の奨学金返済と、運良く拠出していた150万円のiDeCo口座のみ。
役職も、今までのキャリアも一度リセットすることになり、私自身に対する時価はとても下がる結果となりました。まさにバブル崩壊です。
仕事だけが自分のやりがいだった私は、絶望しました。
周りの評価が過剰に気になってしまったり、誰かに言いたいことが言えなくなったり、SNSを見るとキラキラした人たちが異常に眩しく見えたり。
「私は本当に落ちてしまったのだな」と思う日々がしばらくありました。
今では分かりますが、人の人生に上も下もありません。
が、私の場合は仕事での成長が幸せの絶対尺度になっていたために、自分のことを必要以上に他の人よりも下に見てしまっていました。
でも、ふと。
当時の私は本当に幸せだったのか?
と思うことが増えました。
私は別に、裕福な家庭で育ってはないですし、どちらかと言えば相対的に言えば貧困だったかもしれないと思う時もあります。
親の当時の年収を知っていますが、「その手取りで本当によく育ててくれたなぁ。親頑張ったなぁ」と思うことしかありません。
休みをきっかけに、仕事と関係のない友人や家族とやり取りをする機会が増えました。
彼ら・彼女らは、私がどういう状況でも変わらず接してくれました。
仕事上の私ではなく、私自身を認めてくれている感じがしたのです。
仕事を始めてから、仕事上の実績や人脈を増やして、その人たちと過ごすことが多くなっていた私にとっては、灯台下暗し。
「本当の幸せはこういうことだったのかなぁ」と思うようになりました。
もちろん、今でもお金は大事です。稼ぐ力がある方がずっと、自分のやりたいことを実現しやすいことは事実です。
でも、お金があっても幸せかは限らない、ということも今回の経験で身に染みて分かりました。
幸せのポートフォリオを仕事だけで構築するのをやめた
バブルにいた時、私はどうにか自分の今の生活とポジションと仕事がより良いものになるようにずーっと頑張っていました。
自分に対する投資をして、もっと稼いで、もっと信頼を獲得して、という無限に続くゲームをしていました。
足るを知るということはできず、常に乾いていて、常に空腹でした。
その方がずっと早く、遠くまで行けたから。
目的地に早く到達するゲームをしていたんです。
でも、人生を旅だと考えた時、私たちはそういう旅の楽しみ方はしません。
旅程を立てることを楽しみ、
途中の行き当たりばったりの寄り道も楽しみ、
予定よりも遅れて到着する飛行機を楽しみ、
何が面白いのかわからないイベントに参加したりして
思い出を作ったりします。
一見すると遠回りなことの方が幸せを感じるきっかけをくれるのです。
貧乏旅行でも楽しいし、お金があっても使い方を工夫して楽しむ方がいいのです。
何も考えずバーっと使うだけでは幸せは感じられない。
自分の限られた時間を、どこにどのように配分するかを丁寧に考えること。
それが本当に大切なのだと、今では分かります。
仕事が全てではないし、人間としての幸せが必ずしも仕事で得られるとも限らない。
仕事が与えてくれるかもしれないし、与えてくれないかもしれない。
本当の意味で、投資をするならそこも分散すべきだったなと。
仕事に一点がけした結果、バブルが暴落した時に初めてこの事実に気づきました。
幸せのポートフォリオもちゃんと分散しよう
卵は一つのカゴに盛るな、とはよく言ったものです。
皆さんは、金融商品や投資の文脈だけでこの格言を参考にされているかもしれませんが、そうではない。
人生の幸せに関しても、卵は一つのカゴに持ってはいけません。
仕事で得られる幸せも、プライベートで得られる幸せも、また他の事項で得られる幸せも本当にたくさんあります。
自分なりの幸せのポートフォリオを作って初めて、人生がきっとより良いものになるんだと。
そう今の私は思います。