カリム・アイノズ『Firebrand』エリザベスから見たキャサリン・パーの物語
2023年カンヌ映画祭コンペ部門選出作品。カリム・アイノズ長編八作目。エリザベス・フリーマントルによる小説『Queen's Gambit』の映画化作品。ヘンリー8世の6人目にして最期の妻キャサリン・パーを、最も仲の良かった継子エリザベス王女(後のエリザベス1世)の目線で綴った物語。ヘンリー8世の妻たちの物語は多く作られてきたが、キャサリン・パーを主役にしたものは珍しい気がする。物語は1544年にヘンリー8世がフランス遠征中の王座を守る役目を追っていた時期に始まる。彼女の幼馴染であるアン・アスキューという女性は王がいないことをいいことに、ロンドン近郊の森の中でプロテスタントの思想を語って市民たちを扇動していた。キャサリンは彼女を止めようとするが叶わず、資金源にとヘンリーから貰ったネックレスを差し出す。これが後に彼女を悩ませることになる。宮廷ではキャサリンを筆頭としたシーモア派と大司法官ガーディナー率いる保守派が対立しており、感染症で足が腐り始めて癇癪が酷くなっている王の気を引こうと双方が躍起になっている。キャサリンは宮廷劇というジャンルの中では異質な、深い教養に満ちた理想主義者であり、専制君主との結婚生活を維持しながら、自らを危険にさらしてでも思想を守ろうとする活動家として描かれている。宮廷で孤軍奮闘する(味方であるはずのシーモア兄弟もどこか頼りない)彼女の姿は、どこか所在なさげに切り取られているが、庶子から再び王女に戻され再び母親を得たエリザベスの目には理想として焼き付いただろう。終盤までは新機軸と退屈な宮廷劇の間で行ったり来たりしていたのだが、マリー・クロイツァー『エリザベート 1878』に代表される昨今流行りの歴史改変的なラストはどうしても受け入れ難く。いやこれは原作が悪いのかもしれんが、"気に入らないのでぶっ殺しました"を"史実です"みたいなノリで描くと、それまでの描写まで嘘っぽくなっちゃうじゃないか…中世の専制君主を女性に殺させたいのならキャサリン・パーを主人公にする必要あるのか…?
・作品データ
原題:Firebrand
上映時間:120分
監督:Karim Aïnouz
製作:2023年(イギリス)
・評価:50点
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