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【ネタバレ】ラモン・チュルヒャー『煙突の中の雀』自由なる雀は解放のラッパを吹く

超絶大傑作。ラモン・チュルヒャー長編三作目。『ストレンジ・リトル・キャット』『ガール・アンド・スパイダーに続く動物三部作の終幕。今回は主人公カレンの夫マルクスの誕生日を祝うため、疎遠だった妹ユレの一家や近所の人達を家に招いてパーティをするという話である。続々と家に到着する親族が食事会の準備をする中で母親の不穏な行動が光るという『ストレンジ・リトル・キャット』的な物語構造の中に、AとBが会話しているのを切り返しでCが聴いていたことが分かるという『ガール・アンド・スパイダー』的なカット繋ぎで語るという、正しく最終進化形とも言える作品である。それだけで終わるならファンが喜ぶだけの作品なのだが、本作品ではそれを軽々と飛び越えてくるのが凄い。まず本作品は"家"について長らく中心に据えてきた三部作の終幕ということで、"家"というものに決着を付ける。本作品における"家"は代々受け継がれる社会的重圧の集積地であり、クィアフォビアを内面化したクィア当事者の墓地でもある。カレンとユレの会話の中で姉妹は母親を忌み嫌いながら(ユレが疎遠になったのは母親が関連していると思われる)、カレンは実家に移り住むことを選び、今ではカレンの動作や思考が母親に似てきていることが指摘されている。そして実際にカレンは自身の子供たちとは頗る仲が悪い。『ストレンジ…』でも不穏な母親が登場していたが、あんなの可愛いレベルで子供たちに憎まれている。特に次女ヨハンナは反抗期も重なって何かあるごとに衝突しているし、その下の長男レオンは明らかにイジメにあっているが、カレンはそのことを無視している。レオンは男性であるが母親や姉たちに代わって料理をして、同級生から虐められているなど、明らかにいわゆる女性的な側面が強調されており、祖母とユレの仲の悪さを引き継いで、カレンに対するヨハンナとレオンで分割しているような形になっているのだ。ヨハンナとレオンの違いは逃避できる世界があるか否かであり、友達も多くパリピなヨハンナと一人で抱え込みがちなレオンの対比も実に興味深い。一方で、後から合流する大学生の長女クリスティナとは親密な関係を築いており、それは祖母とカレンの関係をそのまま転写したようなものであった。カレンとクリスティナの関係を見るに、老母とカレンの関係も、レズビアンであることを互いに認識したまま他の家族には黙っていて、だからこそユレの知らないところである種の親密な関係を築いていたんじゃなかろうかと思わせる。二つの関係性が決定的に異なるのは、それが現在においても進行しており、これからの関係性を変えることが出来るということだろう。
※チュルヒャー兄弟はインタビューで登場人物たちは彼らに近いが創作であると答えている。しかし過去作を見るに母親に対する複雑な感情が垣間見えるのも事実だろう。母親が女であることに嫌悪を感じながら、同時に自分たちがいるせいで自由になれなかったのでは?と責任を感じているかのような、そんな気がしている。

というように、祖母とカレン/ユレの関係性は同じ家の中でカレンとクリスティナ/ヨハンナ/レオンとの関係性に引き継がれてしまっている。誕生日パーティの主役であるはずのマルクスは蚊帳の外で、祖父が自殺したという地下室で寝ているのだ。そんな中で本作品は二つの方法で過去作を飛び越える。一つ目は現実と幻想、現在と過去を屋敷の中で重ね合わせ、実体化した過去の幻想を視覚化することである。過去作では現実世界にいたら厭だなというレベルでギリ現実世界に留まっていたが、本作品ではそれを飛び越えて主人公に重く纏わりつく過去の幻想が実体化するのだ。待ち構えていたかのようにカメラが動き出し、長回しの中でドラッギーな音と光の溢れる空間となった屋敷を回って、遂には母親の亡霊と対峙する。そして、魔王城にしか見えない"鵜の占拠した島"から世界が燃えるのを見るのだ。これはクリスティナの言う"貴方ではなく世界が間違っていると(カレンに)言われたようだった"という言葉を体現するような、自らを封じ込めた世界への呪詛の発露なのだろう。そして、二つ目は入念な伏線を混ぜ込んだ末に、実際に家を燃やし尽くすことである。登場人物全員がその状況を好ましく思っているというのがまた奇妙に捻れている。チュルヒャーはインタビューで"何かを破壊するとそこには何も存在しないが、土台は残り、そこに新しいものを建てることが出来る"とし、"破壊はネガティヴに建設はポジティヴに捉えられることも多いが、時には前者がポジティヴな効果をもたらすこともある"と続けている。

題名"煙突の中の雀"はユレ一家が来る直前に暖炉から飛び出して、そのまま玄関から逃げていく雀を指している。思えばあれが良き崩壊の先導者つまり黙示録のラッパ吹きであり、幾重にも呪いの掛かった実家の朽ちかけた魂だったのだろう。或いはそれが更に受肉した姿としてリフの存在があるのかもしれない。彼女はある意味でマジカルな存在で、終盤のある点でカレンと決定的に入れ替わるわけだが、それまでは分身なのか祖母が失うことになった同性の恋人なのかは判然としない。祖母が家中の鍵を取り払ったというのをリフがハックして、毎朝玄関を開けて家に侵入しているというのも、なんだか示唆的だ。自分には出来ないことをするもう一人の自分ということだろうか。

また、今回も動物が重要なモチーフとして登場する。前作も前々作も対人間と同様に対動物にも容赦がなかったが本作品でも全く変わっていない。首を落とした鶏が血を撒き散らしながら羽ばたいて落下していくグロテスクなシーンは雀以上に印象的で、この家から逃れきれなかった生物としても象徴的である(鶏を殺したのがコンラートという母親世代最後の生き残りで、後に多くの登場人物に対して一家の過去を教えていたことが明かされるのも面白い)。また、首の切れた鶏と似たモチーフとしてエッダの準備するハトの衣装の頭が常にキッチンに置かれているのも興味深い。切れた頭は家の中に残り続けるのだ。あまりにもグロテスクすぎる。生物学者だったリフの言葉によって、犬やネズミやホヤといった生物にも死んだ祖母や家と今残っている家族との関係性が転写される。犬は人間を犬と思っているので彼らの世界に人間は存在しない、ネズミは養育期間が終わったら母親の顔なんか忘れる、ホヤは自身が守られる快適な場所が見つかると脳みそを食べて永遠に居座ることになる、と。犬猫に手厳しいのも前から同じだが、猫は殺され犬は自由を得るというのも、家に留まった者の運命を予言するかのようだ。あとは、リフの暮らす離れの裏にある小さな湖に浮かぶ島を占拠する鵜の存在も忘れがたい。今では魔王城にしか見えないが、クリスティナの子供時代は美しい光景が広がっていたらしく、ラストでその光景を取り戻すというのが、平和な未来を幻視するようで美しかった。

ちなみに、チュルヒャー兄弟は既に新しい企画の執筆を始めたらしい。ラモンは、自分自身を再構築したいと願う若者たちの視点を通して様々なデートのシチュエーションを探求する作品に、シルヴァンもそれとは別の作品に取り組んでいるとのこと。前作からすぐに三作目が登場したので、これから様々な作品を手掛けることになるだろう。本作品も資金繰りに苦戦したことを明かしているが、是非とも頑張ってほしい。今後も非常に楽しみな作家の二人だ。

・作品データ

原題:Der Spatz im Kamin
上映時間:117分
監督:Ramon Zürcher
製作:2024年(スイス)

・評価:99点

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