アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ『バルド、偽りの記録と一握りの真実』重症化したルベツキ病と成功した芸術家の苦悩
2022年ヴェネツィア映画祭コンペ部門選出作品。アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ長編七作目。今回のDoPはエマニュエル・ルベツキじゃなくてダリウス・コンジなのだが、コンジに失礼なんじゃないかというくらい似非ルベツキっぽい長回しとか視点の低い映像ばかりで困惑する。キュアロンも『ROMA』でルベツキを使えなかったとき、ルベツキからルベツキムーヴを習得して自分でカメラ回してたので、自分語りはルベツキで、という風潮でもあるんだろうか?荒野を走る男が空を飛ぶ影、出産直後に子宮に戻される赤子、水浸しになる電車、現代の宮殿で繰り広げられる米墨戦争、フェリーニ的なTV収録スタジオなど、中身はないけど札束で観客の顔をペシペシと叩くような映像のオンパレードで、20分くらいで断念しそうになった。そしたら、劇中で主人公の友達が主人公の映画について"勿体ぶってて意味もなく夢幻的、筆力の凡庸さをごまかしている、無意味なシーンの寄せ集め"とかボロクソ言ってて草でした。ヴェネツィアでの評判の悪さにビビって20分くらいカットしたらしいが、カットしたとて160分あるので変わらんだろ。この手の"創作に行き詰まった芸術家"についての映画は自慰的になるのは必然だが、そこに胡座をかいていたら駄目なのでは?これじゃあ、ただ金がかかってるだけの"映像"の羅列じゃないか。
以前、最近の映画が長尺化する理由の一つに巨匠を引き止めるためにスタジオが文句を付けないで金だけ出すシステムが構築されつつある、という記事を読んだ。特にNetflixは一つの作品の良し悪しは考えず、イメージ戦略の一環として巨匠の新作を次々と呼び込んでいるらしい。ある程度の好き勝手に目を瞑ってくれる製作環境があるのは素晴らしいことだが、金があったから別になくても良いシーンが量産されているようにも見えたので、少なくともイニャリトゥに関しては、ある程度の制約があったほうがいい映画を作るのではと思ってみたり(生後まもなく亡くなった長男を海に返すCGとか絶対いらんやろ)。まぁイニャリトゥの映画を良いと思ったことはまだないんですけども。
・作品データ
原題:BARDO, Falsa crónica de unas cuantas verdades
上映時間:160分
監督:Alejandro González Iñárritu
製作:2022年(メキシコ)
・評価:20点
・ヴェネツィア映画祭2022 その他の作品
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