見出し画像

セルゲイ・ロズニツァ その短編ドキュメンタリーの全て

セルゲイ・ロズニツァのドキュメンタリー作品には大まかに分けると二種類存在する。一つ目は現代の記録を中心とする作品群、二つ目は記録フッテージを繋ぎ合わせて一つの作品を構築する作品群である。そのどちらも多くの場合、ナレーションを含まず(時に会話すら登場しない)人であれ風景であれ建物であれ対象を観察するように、無言でカメラだけが回り続ける。前者は同時代の歴史を生きた証人としての記録であり、後者は歴史を歴史としてではなく、当時現実だったものを"蘇生"させるように綴られており、故国(引いては世界)の近現代史のポートレイトを構築することで、"如何にして歴史を語り継ぐか"という彼の一貫するテーマに答えていこうとしているようにも思える。

それは劇映画にも言える。製作された四作品は、現代から歴史を眺める『My Joy』、過去の時代を過去の時代の人間が巡る『In the Fog』、現代の人間が過去から現代へと連続的に続く地獄を垣間見る『A Gentle Creature』、同時代の記録をブラックコメディとして再構築した『Donbass』というように、一貫してウクライナとソ連/ロシアの歴史と今をどのように描くかという点に注力している。彼のテーマはこちらでも一貫しているのだ。劇映画の方が苛烈なブラックさとシニカルさを持ち合わせているが、これはドキュメンタリー出身の作家として"事実"の取り扱いに対して非常に敏感であり、実際の"事実"を使ったドキュメンタリーに関してはそれを使って率先的に扇情的な作品を制作しないようにしていると思える。勿論、映画になっている時点で監督の恣意性というのは含まれてしまうのだが、そういった映画についての矛盾や自己批判的な文脈も内包している。

今回はそんなロズニツァの短編ドキュメンタリーについて、まとめて紹介していこうと思う。ちなみに、私がこの中で一番好きなのは『Blockade』と『Revue』。


・『Today We Are Going to Build a House』(未見)

1996年製作。Marat Magambetovと共同監督で撮られた初監督作品。入手できなかったので出来次第追加予定。

・『Life, Autumn』失われゆく旧世代の生活様式

1999年製作。Marat Magambetovと共同監督で撮られた最初期の短編で監督通算2本目。いきなり横転沈没という形で不意に画面から消えるトラクターに爆笑する。長椅子に並んで座る老人たちは歌を歌い、子供たちは川岸を駆け回り、柵は倒れ、馬は人の顔を舐め云々、というロシアの農村から急速に消えゆく旧世代の生活様式や文化を描く。東欧とかロシアの村って必ずアコーディオン上手いやつがいるイメージだけど、ご多分に漏れず本作品にも出てくる。

・『The Train Stop』駅で眠りこける人々

2000年製作。単独初監督作品、通算3作目。駅の待合室で眠りこける人々を写した20分の短編ドキュメンタリー。セリフも動きも一切ない映画であるが、不思議と迫力があり、飽きることがない。アンディ・ウォーホル『スリープ』も同じ様に眠る人を写した映画だが、同作よりも画面に躍動感があるのが不思議なところ。実は『A Gentle Creature』にもセルフメンションとして登場し、駅で眠る行為が重要な役割を果たす。

・『Portrait』日常と肖像画の奇妙な非現実感

2002年製作。通算4作目。真冬の雪原に立たされる人々から始まる本作品は、その厳しい環境での日常生活から一場面を切り出した肖像画のようにも見えてくる。からこその題名なのだろう。木の上に鋸を置いてコチラを見る人、川岸で風に煽られながら洗濯物を手にコチラを見る人、自転車を持ちながらコチラを見る人、など様々。すると牛のいる牧草地から煙が上がり、映画からは人間が消え去ってしまう。ホラー映画のような寒々しさと"怖い絵"を再現したかのような生気の抜けた同時代の記録。

・『The Settlement』再び、一日が始まる

2002年製作。通算5作目。朝靄から始まる本作品は、一見するとを田舎の村での日常生活を捉えている作品のようだ。畑を耕し、木を切って、水を運び、皆でご飯を食べてから仕事をして一日が過ぎていく。しかし、注意深く見つめると、彼らが精神病患者であり、治療の一環として"日常生活"を送っていることが分かる。『Portrait』のような側面も残しつつ、牧歌的で魅力的なドキュメンタリーは再び次の一日が始まることを暗示して円環構造という名の迷宮に観客を取り残し続ける。

・『Landscape』360度パンの現代ポートレイト

2003年製作。通算6作目。いきなり雪原の360度パンから始まり、場所を変えて何度も繰り返す。回を経るごとに都会へ近付いているようで、画面の人口密度や建物密度も上がっていき、人の声も騒がしくなっていく。実験的な手法で幕を開けた本作品はバス停に集まる人々の下まで辿り着き、他愛も無い話に花を咲かせる人々を映像と音を切り離しながら映していく。周回パンの中でしっかりカメラを見ている人もいれば、素知らぬ顔で会話を続ける人もいて、不思議な気持ちになる。

・『Factory』工場のある日

2004年製作。通算7作目。ある工場の一日を生活音だけで描いており、生気の抜けたようなモノクロドキュメンタリーを撮っていたとは思えないほど荒々しく生々しい。炉の移動シーンや工員移動シーンのロングショットは非常に美しく、上に向けて熱そうなオレンジの光を発する溶鉱炉がヌルヌルと近付いてくるのにはゾクゾクしてしまう。一瞬休憩するおばさんも可愛いらしい。ラストのもうもうと煙を吐く煙突は最高。ただ、全部観ても何を作っているかイマイチ分からない。

・『Blockade』過去の記録で現実を"蘇生"させる

2005年製作。通算8作目。ロズニツァはここに来て新たなるステージを作り出す。それはモスクワ・フィルム・アーカイブで彼が見つけたフッテージを再構築することで当時の記録を一つの作品にすることだ。本作品は第二次世界大戦中にナチスに包囲されたレニングラードの人々の生活を、まるでさっき撮ってきた現代の記録かのように再現している。建物は爆撃やそれに伴う火事で倒壊し、戦車が街を走り、警報が鳴り響き、壊れた車やトラムの電線が散乱する街で人々は日常生活を送っている。どうやら音は後から付け足したものらしいが、会話を無理矢理付け足したりナレーションを加えたりするわけではなく、雑多な効果音を付け加えたという感じで、元々は付いていなかったという事実が信じられないほど自然。悪意ある改変すら容易に出来ることへの恐怖も含めた不思議な感覚に陥るものの、"過去の記憶を呼び覚ますものではなく、事実の蘇生に他ならない"という言葉が指し示す通り、本作品の核は歴史を歴史に留めないことにある。ならばこそサイレントのままの方が良い気もするが。一番衝撃的なのは死体がそのへんに転がっているのを橇で郊外に運んで埋めているシーンだろうか。ここだけ不気味な静けさが映画を包み込む。

・『Artel』ある日の漁の風景

2006年製作。通算9作目。旧ソ連の農民協同組合を意味する"アルテル"を題名とする本作品は、初期のドキュメンタリーに戻ったかのようなモノクロ35mmフィルムで捉えられた田舎の日常生活の記録である。冬のある日、漁をしようと氷に穴を開けるのに悪戦苦闘する人々を長回しで捉えているのだが、これが同時代の記録なのか過去の記録なのか判別がつかないのが凄いところ。多分、前者。

・『Revue』蘇るフルシチョフ時代ソ連の文化と発展

2008年製作。通算10作目。『Blockade』以来2作目となる"ファウンド・フッテージ再構築もの"(そんなジャンルあるのか)。今回はフルシチョフ時代に放映されたニュースリール、プロパガンダ映画、TV番組、劇映画の破片から構築されている。ソ連初期の技術革新プロパガンダへの返答のように、既に多くの部分で近代化された都市部の工場がもうもうと煙を吐く映像が随所に配されている。劇場に入る人々→演出家の解説→劇の開演という違う種類のフッテージから物語を作っていき、観劇についての挿話を完成されてしまう手腕には感動する。本来であれば演劇のシーンはプロパガンダ的な側面があったであろうが、本作品では"劇中劇"として人々が当時観ていたものとして華麗な転身を遂げるのだ。こんな感じで、多くの異なる文脈で作られた事実を組み解して並べ直していくことで、当時の工業/農業/政治活動/ポップカルチャーなどを浮き彫りにし再構築していく。ロケット発射のニュースリール→SF映画の断片→望遠鏡を覗く人々→宇宙開発事業の解説など圧巻のモンタージュを幾つも含んでいて、溢れ出る才能を感じ取れる。

ここまで全面的に文明機器が登場するのは初めてのことだが、映画の冒頭はバラライカの演奏会の映像で、続くのは湖の氷に穴を開けて網をぶっ込むシーンなので、近代化の裏で生き残る伝統的な文化もしっかり描いている。そして、まるでスターリン時代が存在しないかのようにレーニンの肖像画だけがそこかしこに登場し、異様な雰囲気を感じてしまう。プロパガンダとして美化された市民生活が、そのまま美化された記憶へのノスタルジーへと繋がるのか、それとも共産主義を盲信することへのある種の滑稽さや皮肉へと繋がるのかは受け取る側にも依るが、本作品が奇妙なインパクトを持った作品であることには変わりない。

・『Northern Light』オーロラは関係ありません

2008年製作。通算11本目。一面雪で覆われた道を只管進むシーンで幕を開ける本作品は、それによって中心部からの距離を暗示させながら、離れていようが存在する生活を切り取っていく。顔や体全体の動き、それに伴う人間同士の干渉を描いてきたロズニツァの生活ドキュメンタリーにしては、ズボンを履く動作や運転する動作など細部に寄った映像も多く含まれる。そして、ロズニツァの映画で初めて子供が登場したと言っても過言ではないくらい子供にスポットが当たる。二人の姉妹とその両親の四人が同じ画面に映ることはほとんどなく、会話はあるものの基本は無言で進むこの映画において、家族は共にいる人間としても分断された個々の人間としても描かれているようだ。ラストで家族が全員集合するときも、父親だけはその場にいない。ちなみに、オーロラは関係ないが、北極圏の話なので微妙に白夜っぽい。

・『The Miracle of Saint Anthony』ポルトガル、伝統継承の奇蹟

2012年製作。通算14本目。キャリアで初めてウクライナ/ロシアから離れ、ポルトガルで撮影された作品。守護聖人の祝祭を開く村人が準備する様から祭の全体像まで描き出す。祝福のために家畜やペットを連れてくる村人、聖アントニオの話をする司教、村を練り歩く音楽隊、子供から老人に至るまで、薄いやっつけ感すら漂う(コーラス隊の裏で花火やってるくらいだもん)この伝統的な祝祭の中に、世代から世代へ、時代から時代へと受け渡されてきた時間が圧縮される。形骸化しているようにも見えるが、継承され続けることこそが奇蹟なのかもしれない。

・『Letter』原点回帰は過去の自身への手紙?

2013年製作。通算15作目。ロシア北西部の田舎にある文明から隔絶された精神病院が舞台となる。『The Settlement』から11年が経って、その場所を訪れ直したか、或いは当時のフッテージを再構築したと言われても不思議には思わない。平和で和やかな日々の情景を長回しで描き出していくのは初期ドキュメンタリー的な趣があって嬉しいが、薄靄がかかってピンボケしているのはやっぱり不安にさせられる。戻ってきたのか、もう戻ってこないのか。

・『The Bridge of Sarajevo』未来を築いた戦士たちへ

クリスティ・プイウやアンゲラ・シャーネレク、テレーザ・ヴィラヴェルデなどが参加し、サラエヴォ事件以降の混沌とした欧州の歴史を混沌とそこから見える希望をテーマに13の監督が短編を並べたオムニバスの一編。ロズニツァの担当は『Reflections』という作品。モノクロ映像で現代のサラエヴォで暮らす緩やかな時間が流れ、その映像にボスニアの写真家 Milomir Kovačević が撮影した内戦時の兵士たちのモノクロ写真が重ねられている。彼らは紛争からこの街を守って、未来を切り開いたということなんだろう。ちなみに、各短編の前に橋を模した二本ので手が、アニメーションでそれを繋ぎ合うというのがあるのだが、ロズニツァパートの前ではその下を流れる川に大量の棺が流れていた。こわ。

・『The Old Jewish Cemetery』ラトビア、静かに佇む旧ユダヤ人墓地

2015年製作。通算19作目。1725年から存在するリガのユダヤ人墓地が二次大戦以後どうなっているのかを辿る"現代の記録"。モノクロのロングショットで映し出されるのは、かつでユダヤ人墓地だった場所とその周辺に何が建ち、誰が行き交うかという疑問への答えである。時折、サブリミナル的に変わり果てた土地の真実を伝える碑文の断片が大写しになるが、これは次の作品『Austerlitz』における真実の取り扱いに似通っている(音声ガイドとツアーガイド)。本作品の静かな眼差しは完全に同作のものと等しい。また、突然カメラを見る老人も印象的。ロズニツァも同じことを思ったのか、本作品のジャケ写はだいたいこれ。

・『A Night at the Opera』夜、オペラに集う人々

2020年制作。通算27作目。1950年代~60年代にオペラ・ガルニエで開催されたガラ・イヴニングのフッテージを、ある一夜の出来事として再構築した作品。ロズニツァのフッテージ再構成作品の中では最も平和かつ華々しい。それと対比するように爆発する民衆のラスト1分が最高。

・セルゲイ・ロズニツァ その他の記事

セルゲイ・ロズニツァ 経歴と全作品
セルゲイ・ロズニツァ その短編ドキュメンタリーの全て

・劇映画作品
セルゲイ・ロズニツァ『My Joy』ソビエト後期における"ズヴェニゴーラ"の再構築
セルゲイ・ロズニツァ『霧の中』霧の中の水掛け論
セルゲイ・ロズニツァ『ジェントル・クリーチャー』ある寡黙な女の孤独な闘い
セルゲイ・ロズニツァ『ドンバス』"しりとり"のように紡ぐドンバス地区の混乱と狂気

・長編ドキュメンタリー作品
セルゲイ・ロズニツァ『マイダン』ウクライナに栄光あれ、英雄たちに栄光あれ
セルゲイ・ロズニツァ『新生ロシア1991』ソ連を崩壊させたあの"出来事"
セルゲイ・ロズニツァ『アウステルリッツ』21世紀の"夜と霧"は無関心と改鼠の中に埋没するのか
セルゲイ・ロズニツァ『Victory Day』戦勝記念日に、同志たちよ、ウラー!
セルゲイ・ロズニツァ『粛清裁判』形骸化した虚無の儀式
セルゲイ・ロズニツァ『国葬』赤は共産主義の赤、そして…
セルゲイ・ロズニツァ『バビ・ヤール』バビ・ヤールのコンテクスト、ホロコーストのコンテクスト
セルゲイ・ロズニツァ『ミスター・ランズベルギス』ランズベルギスとリトアニア独立のコンテクスト
セルゲイ・ロズニツァ『破壊の自然史』"空襲と文学"と無差別爆撃について

よろしければサポートお願いします!新しく海外版DVDを買う資金にさせていただきます!