20230620
ヒルタスでUXライターの岡田麻沙さんが聞き手を務める回を観た。初回のゲストは「いぬのせなか座」主宰の山本浩貴さんで言語表現とChatGPTについてのインタビューだった。わたしも本格的ではないが、ちょっと触る程度に使っている。翻訳のベースとして使うには、まあ使えると思う。冒頭で津田大介氏が岡田さんが「書き言葉を話すような人」と評していることも興味深かった。すでに書き言葉と話し言葉の乖離が始まっていることは思っていたが、具体的にどういうことなのかと言うと、原稿を読むような論理的に組み立てられた語列にはそういう感じが強くある気がする。LINEと業務用メールの違いみたいなことかもしれない。LINEですら書き言葉であるわけだが。本編で山本さんがChatGPTに書かせた掌編はとても衝撃的な完成度で驚いた。最近、個人的にモダニズムに関心があり、いろいろ調べているのだが、モダニズム建築の流れが今の言語芸術における革新と似ている気がしている。山本さんは小説自体の価値観が揺らぎ始めていることについて繰り返し話している。モダニズム運動はジョン・ラスキンに影響を受けた、ウィリアム・モリスのアーツ・アンド・クラフツから世界規模へと発展していく。もともと産業革命後の粗悪な既製品に反対するかたちで、意匠や装飾を凝らしたものを身近な生活用品に取り入れようというものだったが、結局それは職人の手作業で高級なものへとなってしまう。そこで、アメリカのスティックレーやフランク・ロイド・ライトらは工業化をある程度受け入れ、機能性や利便性を追求した洗練されたデザインが世界を席捲していく。山本さんは保坂和志の影響下にある人だ。保坂が書くこと自体に価値を見出していることに対し、デザインや映像、演劇といった総合芸術的な活動をしている山本さんは言語の持つそれ自体、書き手と受け手の関係に興味関心があるようだ。書く技術に重きを置く保坂をモリスとすると、散文の機能性に関心のある山本さんはスティックレーやロイドのようだと思った。