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なぜ、幸せになれないのか?

たとえば、『良い会社や学校に入る』『年収数1000万円稼ぐ』『豪華な家・車を買う』『テストで高得点を取る』などは、幸せとは関係ありません。


『良い会社や学校に入った』

『年収数1000万円稼いだ』

『豪華な家・車を買った』

『テストで高得点を取った』

人たちで、不幸な人を数え切れないほど見たからです。お金や地位を持っているのに、なぜか、顔が暗いのです。

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なぜ、幸せになれないのか。理由はいくつかありますが、ここでは2点書きます。


●1:学校教育の問題

学校は『点数を取る・良い成績を取る』ことが良しとされる世界です。

逆に、点数が低いと評価が下がります。しまいには、怒られます。

たとえ、その子が優しくて、明るくて、楽しく過ごしていて、みんなに好かれていても、成績が良くないと学校的には『ペケ』なのです。

学校教育の構造的に、点数や評価を得ることが『良いこと』とされています。

また、親や周りの人も『点数を取ること・褒められること』を推奨してきます。

世の中には、あらゆる基準で『素晴らしいこと』があるにもかかわらず、『点数を取る』という狭い上に人間の幸せとはまったく関係のない要素で、『良し悪し』が刷り込まれます。

精神力も判断力も乏しい子供は、これだと『点数が取れない=異端である=ダメなこと』だと思ってしまいます。

学校や社会の基準から外れると怖いから、日本人は特に同調圧力が強いから、とにかく『自分自身の実感や心の感じ』を遠ざけて、『周りの人の基準や大人が評価してくれること』に走っていくのです。

こんな世界で過ごした大半の子供の行く末は、

『良い学校・良い会社に入ったら』休日や給料のことばかり考える。

『良い学校・良い会社に入れなかったら』もうおしまいだと自信を無くす。

2通りです。どちらも、幸せではない可能性が高いです。


●2:SNSでのリア充合戦

『幸せ』という定義や基準を自分の中にもっていないと『自分は幸せだなぁ』と感じられなくなります。

みんな『年収・友達の数・学校や会社の名前・肩書き・周りの目や評判』を気にしすぎです。

そこに幸せがあると思い込んで、

それらを目指す人が多すぎます。

それ、本当に自分が幸せに感じるとわかった上で目指しているのか。

ちょっと考えてみて欲しいです。


投資で20億円稼いで、廃人のような生活をしている人を知っています。
良い学校・良い会社に入って、家族関係がボロボロで不幸な人を知っています。
SNSでリア充っぽく見える人なのに、本当の心許せる友達が一人もおらず孤独を感じている人を知っています。

けっこう多いのです。

世間が幸せだと思っているイメージを目指してそれらを手にした人が、現実には幸せとは程遠いことがよくあるのです。


学校教育・テレビ・ドラマ・メディア・ネット・SNS・周りの人の意見など、様々な外の情報を見て、間違った『幸せ・成功』の刷り込みがされてしまっています。

自分が何に幸せを感じるかを知らないまま、
世間やら、自分が一切知らない他人の作った『成功・幸せ』のイメージを手に入れようとするのです。

改めて言うと、周りを見すぎ、気にしすぎ、自分を見なさすぎです。

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●自分だけの『好き・楽しい・ハマる』を追究しよう

最も重要なことは、世間や周りの理解・納得・評価などを一切求めないことです。

子供の頃に公園の砂場で夢中になった時のような、ハマりこんで時間を忘れるような何かを思い出すことです。

プラモデル作りにハマりこんで時間を忘れてしまう、この時間は学校的・世間的には一切評価されません。
でも、自分自身は幸せです。

人間の幸せとは、極めて個人的なものです。

究極、誰からも理解されません。


『プラモデル作りなんて、何が楽しいの?意味あるの?儲かるの?』という人に対して、説明は不要です。弁解も理解も要りません。

『ただ、楽しい』それだけです。

大して仲良くもない男女同士で高級ディナーシーンをアップするパリピ男女が過ごす時間は、心許せる友達同士で安居酒屋でワイワイやる時間にはかないません。

幸せは数値化できないとしても、心の実感は明確にわかります。

多様性とは、一人ひとりの『好き・楽しい』をそのまま持つことです。


日本人は『こうすべき』という同調圧力が強すぎです。

『あんな風になれば幸せになれるはず』と思っていること自体が、自分の幸せ感を遠ざけています。


もっと、自分の感覚を大切にして欲しいのです。

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