![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/58416444/rectangle_large_type_2_23fa582d7e12580985827a8c89e2959b.jpeg?width=1200)
すするとずずる
あなたは麺をすする派ですか?すすらない派ですか?
世間的には今日から連休初日という人がほとんどだったと思うが、あいにく自分は仕事日だった。通常仕事がある日の昼食は会社の食堂で食べることがほとんどである。だが、今日は昼に遠出をしていたので外食をしなければならず、出先でそれなりに有名な蕎麦屋さんに行くことになった。
そこで食べた蕎麦は、正直これまでに食べたことのある蕎麦の中でも一番美味しいんじゃないかと思える旨さだった。普段から蕎麦自体をそんなに食べるわけではないし、コンビニのざるそばも十分美味しいとは思うのだが、やはり本当に美味しい蕎麦は違うんだなと思わされたものだ。
一回り以上年上の社員に同行していたため、共に昼食を食べたのだが、その社員が慣れた感じで3人前の蕎麦を注文してくれた。だが、おそらく1.2人前くらいしかその社員が食べなかったため、残り半分以上は自分が食べなくてはならなかった。そのため、過去にないくらい美味しい蕎麦だと思ったのと同時に、過去一番と思えるくらい一度に大量の蕎麦を食べるはめになり、とても苦しかった。
当たり前だが、どんなに美味しいものだからといっても無限に食べられるわけではない。むしろ、適量を超えると本来の美味しさも感じられなくなってしまうものだ。あまりに苦しかったので、「最初から2人前にしてくれればよかったのに…」という感想の方が、「過去一番に美味しい蕎麦だった!」という感想よりも強く残っているのが少し残念ではある。
自分は蕎麦をはじめとする麺類をあまりすすりたくないと思っているので、基本的に麺はあまりすすらないで食べるようにしている。一般的に麺類はすすって食べるという人の方が多いだろうし、特に麺類が好きな人はすすって食べるのが当たり前だという人が大半だろう。だからこそ、すすらない人はすすれるけどすすらないというよりは、すすることが不得手だからすすらないという場合が多いのではないだろうか。
自分が麺を積極的にすすらない理由は、すする音があまりきれいな音だと思えなくて正直苦手だからである。細かく言えば、すすること自体は悪いことだとは思わないが、多くの人は「すすっている」のではなく「ずずっている」んじゃないかと思っている。すすることなしに麺類を食べることはとても大変なので、自分もすすること自体はしているのだが、その際にあまり音を立てないようには気をつけている。そうでないと、「ずずずっ」という自分が苦手な音を自ら奏でてしまうことになるからだ。
自分の目の前に座っていた年上の同行社員をはじめ、隣のテーブルに座っていたカップルの内の男性もやはり豪快にすすっていた。いや、自分からすると「すすっていた」というよりも「ずずっていた」と表現したい。隣のテーブルに座っていた男性にいたっては、すすった勢いで蕎麦についていたはずのつゆが目の前の彼女どころかこっちにまで飛んでくるんじゃないか、と少しだけ心配になるくらいのずずりっぷりだった。
麺をすする派の理由としては、すすった方が美味しいからという説がある。たしか、かなり昔に何かの番組で、すすった方が実際に美味しいということが証明されていたような気がする。これが間違いでなければ、すする派の言い分は間違っていないとも思うし、否定することはできないものだ。
しかし、自分としては「すする音」が味覚以外から感じられる美味しさを他人から奪ってしまっているのではないかとも思う。すする音は決して上品な音だとはいえないだろうし、少なくとも自分はすする音を聞くことで食欲が湧いてくるとは思えないからだ。もちろん、これは自分の考えなのでそう思わない人がいるのも当たり前だし、自分もすすることが完全に悪いことだとは思っていない。
ただ、せめてずずるのではなくすすってもらえたら自分としてはありがたいなと思っている。そんなにダイソンを彷彿させるかのごとく勢いよく吸い込まなくても、美味しさは簡単には失われないと思うからだ。だからこそ、すするがずずるにならないように、気をつけてすする人がもっと増えてもいいんじゃないかなと思っている。