つぎの夜へ
こんばんは。
皆さんはどんな夜をお過ごしですか。
私は今年から社会人になった、新卒一年目のコロナ世代。
4月からの研修はずっとZOOMで、同期とは画面越しには毎日会うけど、実際に会うのとはまた違う感覚で、なんだかむず痒いんです。
直接会ってはいないけれど、少しみんなのことはだいぶ知っている。
このむず痒さを形容できる言葉をまだ見つけられていません。
情報技術の発達で、私たちはどこにいても好きな情報を手に入れることができるようになったけど、モノや人の雰囲気やオーラを感じることができるようにはなっていないですよね。
技術が進歩するか人間が進化するのか、どっちが先になるのかわからないけど、いつの日かデーター、情報?から人間は微弱なりとも人やものオーラというものを一般化し、感じ取ることができようになる未来が来るかもしれません。
そうなってしまったら、生きづらさは増すでしょうね。
ただでさえ行きづらい世の中なのに。
人間から発せられるオーラって少し抽象的な表現をしているかもしれないけど、少しは感じ取ることができますよね。
人の根底にある「いやしさ」や性的な「下心」とか。
そういうオーラが見え隠れしている姿をみると、「ああ、人間だな」って少しほっとすると同時に、「人間むき出しだなぁ」ってニヤニヤしちゃうんです。
逆に、色々な感情があまり読み取れない人には、自分の想像力を駆使して、その人の人生の物語を勝手に作ってみたりしてみて。
まあ、オーラが見える占い師みたいに、そのオーラの感覚を他人に押し付けるようなことはしませんが。
こうやって感情という抽象概念で遊ぶということが人間の醍醐味であるはじなのに、雰囲気とかオーラが数値で解明されてしまうとなると非常に困りますよ。
なんて、「こんな風に妄想にふけって、夜のオフィス街から帰宅する、僕、私かっこいい!」って生活を夢見ていたのですが、今はこんなご時世なので、まぁ...ね。
『つぎの夜へ』ってゆらゆら帝国の曲を聴いていると、仕事終わり、クタクタになって夜のビル群を歩く、そんな姿を妄想できちゃうんです。
曲の途中で入るコーラスは、視力0.1、裸眼の状態でみるぼやけた街の明かりの点滅のようにも感じるし、微かな蛍の発光ようにも感じる。人工的であり、自然的な雰囲気漂う不思議なメロディーなんです。
この曲を聴きながら、自分を東京で戦う主人公に仕立てる遊びが今のマイブームです。
電車に揺られながらそんなこと考えることができるって、今思えば幸せなことだったんだな。