2022年1月1日の日記、今年の目標

皆様新年あけましておめでとうございます。
 
昨日から元旦にかけていかがお過ごしですか。
 
僕はといえば、もう昨晩は藤井風を紅白で見れたことに感動してました。一番最後にMISIAとコラボしたとか。もうその時は眠りについていたので、そんなサプライズは全く知らず。まだ見ていないので、今晩にでも見ようかと思っています。アーカイブどこかで残っていないかな。
 
そんなこんなで、祖父母の家で新年を迎え、大量のおせち料理をいただき、日本酒を飲みまくり。やはり東北地方は日本酒の消費量が多いんですかね、やたら親族みんな日本酒を飲むので僕もすすめられて飲むことになって。昨日は散々ビールを飲んだのに、今日は朝から日本酒で苦笑しております。祖父母や親族からしてみれば、僕と飲めることが念願だったそうで(成人してからはコロナのせいで祖父母宅に来れていなかったので、初めてお酒を一緒に飲んだ形)。そりゃ喜んで酒も進むでしょうと。まあ楽しいんでいいんですが、今日のうちどこかで限界を見そうで怖いです笑
 
朝からお酒を飲んだんですが、頑張って酔いを落ち着かせて、今日は散歩と写真、ピアノと課題全部やりました。一年の計は元旦にありという言葉を信じているので、いろいろなものに触れておくことが今日は大事だと思ってました。外は雪が積もっていて日中も氷点下の冷え込みですが、かなり着込んでいった結果問題なく。雪道をかき分けながら進む感じとても良いです。やっぱり雪っていいですね。僕は基本的には夏の方が好きなんですが、決して冬も悪いものではないなあと思うようになっています。最も、ピアノを前にしたらなんでこんなに寒い季節があるんだろうかと冬の悪さに目が行ってしまいますが。
 
課題は午後にやっていたので、まあお昼ご飯を食べなかったのもありなんとか耐え。昨年のうちにレポート全討伐を試みていましたが、一個だけ片付かず。一番重いやつなので、少しずつですが進めておりなんとか今日中には終わりそうです。どうしても3年の後期になってから扱う内容の専門性がかなり上がり、その分レポートも内容を適切に吟味しないとなあというところ。課題は時間をあまりかけずにパパっとこなしたいんですが、こればっかりは致し方ない。むしろクオリティを落とすことはしたくないので、きっちりやり切りたいかなと思っています。
 
結局この祖父母滞在も明日の昼までなので、弾丸になってしまった。でも今日散歩してみて、この2年で相当家の周りが変わっていることに気が付けたのは良かったことでしょうか。変化というのは、一点と一点とを比較するから見られるのだろうとも考えていました。線の中で連続的に変化させたところでそれが急激なものでない限り気づきにくいわけです。今日の明日で変わったとか、そんなことはわかるはずがなくて。今現在と過去の一点を比べるからこそその変化に気づくことができる。それを思えば、その時その時の状況を適切に覚えておいたり記録しておいたりすることの方が、何かに気づくというよりも簡単にできることなのかな。その現状を記録するのならばいつでもできますし。その時に記録した一点がすぐ後には過去の点となり、現在との比較対象としてあらわれてくるのだろうと感じます。
 
適当にうじうじ書きましたが、今日の日記はこれくらいにして。さて、今年2022年はどうしたいのか、まとめてみることにします。
 
いろいろね、やりたいことがありますが、その中でも絞って。
 
1.丁寧と大雑把のバランスを取る
2.インプットする情報を増やす
3.様々な習慣をたくさん身に着ける
 
これ以外にもあるけれど、まずはこれくらいで。
 
1:いろんな人に昨年言われた、僕が丁寧だと。確かに、いろいろな事柄を丁寧で包めばかなりの物事うまく行くことが多かったし、自分自身で納得もいっていた。でも、そうして昨年の自分がした行動を振り返れば振り返るほど、極端に丁寧に走りすぎているなあと感じることが増えた。本当は、丁寧であることはいい物事なはずなのにそれすら悪い形で見えてくるようになった。
 
だとしたら、これをうまく改善させるためにはどうしたらいいか。もうすでに去年からいろいろ考えてやっていることだけれども、丁寧なところはとことん丁寧に、大雑把でもOKなところは大雑把にでもいいのかなって。例えば、大学の授業における小テストをその場で提出しなければいけないのに、僕はあまりにも字が汚いし、体裁もひどいので、手書きで下書きをしたものをPCだのiPadだので修正して出していたのである。今考えれば、そりゃ時間内に間に合わなさそうになるのもわかるし、そこまでしなくてもいいなあと感じる。そういうときはある程度大雑把に汚い字でもいい。むしろ手際よく処理することが大事な場面はそういうことを優先したほうが適切なのかな。自分から手を抜きに行っているわけだけど、それでもいいや、って思えることができるようになれればいいかな。
 
もちろん、それは毎回手を抜いてというのではこれは意味がない。ベストを尽くすことは前提として持っておいて、その中で丁寧さを追求できる場面か否かを判断すればいいということだ。だからこそ、そういった状況判断も必要になる。簡単ではないけれど、徐々にできるように意識したい。
 
2:これは去年痛感したこと、特に教養卒論を書いてみて思ったこと。情報のインプットが少ないなあって。僕は受験勉強していた時にものすごくアウトプットに意識を注いでいた。でもアウトプットってインプットされた知識がないと全く実行に至らないんだろうなって。それを思ったときに、今まで自分で考えていたことが総崩れになってあーあ何を考えていたんだろうって先月末かなりそれでふさぎ込んでいた。言動一致が全く伴っていないのである。自分に失望もした。
 
だからこそ、ここは大きく改善したい。でも、大きい変化を望むからこそ小さい事柄から取り組んでいかなきゃって思ってる。例えば、本を読む、新しい音楽を聴く、新しい場所へ向かう、それらを記録する、これがインプットの対象になるのかな。幸いにも現代は情報源には恵まれているので、あとは自分でつかみに行くだけ。もちろん各種勉強もそれらの対象だ。勉強に執着するのも違うけれど、もちろん勉強が大事なのもわかっている。知識をたくさん身に着けたうえでじゃあアウトプットできる?と考えてみて実行する、というのが流れかな。
 
3:これは2021年やってよかったことの中に含まれてたので継続。いろんな事柄を習慣に落とし込んでしまえば、確実にいろんなことを進めるハードルが下がるし、それで余った時間なり能力なりで別のことを回せたりする気がしている。あくまで気がしている、だ。僕が自分のキャパシティー的にどれくらいできるかなんてわかっちゃいない。けれども、ちょっとでもそういったことをすれば、余裕が生まれて、いろんな物事を取り入れることができるかな。やっぱり本を読む習慣は身に着けておきたいね。今年はそれが二番目に大きい目標かな。
 
とまあここまで書いてみましたが。たぶん意識していられる事柄も限られてくるとも思っている。だから、この記事に戻ってきて、あれ何を気にしたらいいんだっけというのを確認できるといいのかな、そう思っています。
 
 
皆さんも今年一年が良い年になりますように。
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