ぼくの思う「運命」とか、「運命の人」だとか①
*2022/3/7作成
最近「転生したらスライムだった件」というアニメを見ていて。
ふと「運命」なるものについて、自分の見方を思いつきました。
(思いついた経緯については、ここでは話しませんが・・。)
一つ目は、「前のヨメさんは、ぼくの運命の人だった」ということ。
彼女と結婚するまで、両親に依存して、自分で考えて決めるクセを持たなかったぼくは。
初めて他者=前のヨメさんに自分のすべてをさらして、超仲がよかったり、ボロクソなケンカをしたりしながら、最後は互いに信頼できなくなりました。
でも、そんな彼女とのやり取りを通じて、ぼくは離婚という人生の重大な決断を、生まれて初めて自分一人で行うことになります。
そして離婚後は、一人で立っていられるように、逃げずにいろんな体験をして、学んで、自分の価値観を積み上げて、自分というものを作っていきました。
ぼくの人生の課題の一つは、「自分の価値観を持った上で、覚悟と責任を持って自由に自分のことを決めて行動する」ということだと思ってるのですが。
彼女のおかげで、その第一歩を踏み出せたのだと思っています。
ぼく的には、運命の人とは、「長年のパートナー」というイメージだったのですが。
「(ケンカ別れしてでも)相手の人生を大きく変える」という形での「運命の人」もあったのね・・というのが、今回の目から鱗でした。
二つ目に思いついたのは、「運命とは、生まれてくる前の自分という「魂」が、自分に課した「人生の課題」じゃないか」ということ。
つまりは、いいことも悪いことも、自分がコントロール可能か不可能かに関わりなく、「身の周りで起きることの全ては、自分が選んだこと、全ては自分の責任」というモノの見方です。
まあこういうのは、ぼくは魂とか輪廻という考え方を持って世界を見てる人なので、思いつくのかもしれませんが・・。
これは、全くもってぼくの解釈なのですが。
運命と呼ぶ出来事は、自分の気の持ち方や努力で変わるものではなくて、どうしようもなくやって来るもので。
でも、その見方や捉え方は自分の経験や学びや気の持ち方によって変えることができる、という類いのものではないかと。
今のぼくは、自分という魂がプログラミングした課題を、予定通りこなしている真っ最中なのだと思えます。
離婚して10年、よくがんばって来たなあと思います。
そして、ぼくの人生の課題の相手役になってくれた前のヨメさんとは、もう会うことはないのですが。
今まで抱いていたのよりも一層、感謝の念しかありません。
なんかそういうのが、映画を観た後みたいな感じがして泣けてきます。
ぼくはまだまだ、大事なことを学び、気づき続けていくのでしょうけれど。
きっと、今書いたことが、ぼくという人間の大事な本質だと。
きっとこれがこの10年くらいの間探し求めてきたことの、一区切りの結論だと思ったので書いてみました。
なんか、日常生活の中で新しいモノの見方を得るというのは、面白いですね~。