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日本式ギフテッド教育〜会読について
最近、ギフテッド教育という言葉を耳にすることが多くなってきた。
ギフテッド教育とは高い知能、特別な才能をもった子供たちを対象に施される教育プログラムが主な内容となり、欧米をはじめとする海外の教育先進国にて取り入れられ、日本における普及はまだそれ程ではないという。
日本は高い知能や特別な才能を持った子供たちに焦点をあわせた教育よりも劣等生や落ちこぼれを生じさせない平準化教育に重きを置いてきた。
ただ、そのトレンドも変わりつつあり、文部科学省による「特定分野に特異な才能のある児童生徒」支援事業もスタートした。
私自身も公立小学校の非常勤職員、学習塾での勤務経験からも、子供たちの特異な才能や発達に合わせた教育は有用であると感じており、今後もこの流れが強まることを願っている。
自分自身は高い知能、特別な才能をもったギフテッドではなかったが、正直、学生時代、学校の授業に物足りなさは感じ、授業を受けることにしばしば苦痛を伴なった。
毎年、学校で4月に渡される教科書を読めば、授業を受けるまでもなくその内容は理解できるのだし、間違えるはずのない計算ドリルを数ページも延々と繰り返すのは苦行以外の何物でもなかった。
正直、学校の授業でなるほどと思ったことはほとんどなく、教科書の内容は授業前にほとんど読み終えていたので、知的好奇心を刺激されることは皆無であった。
そんな自分に子供が生まれ、自分と同じよう思いはさせたくないなあ、と思うに至ったのはごくごく自然な流れであったのだろう。
自分が受けたかった教育。それを探求する日々が、ちょうど娘が生まれた15年前より始まった。
また、それは娘の子育てを通じて、さまざまな教育メソッドを試し、実践する試行錯誤の日々でもあった。
モンテッソーリ教育、シュタイナー教育をはじめ、七田式、小学受験、中学受験を通じて生み出された様々な教育メソッドを調べ、取り入れてみた。
決して無理矢理やらせるのではなかったので、結果、娘が興味を持ち、楽しんでやれたものだけが、継続してゆくことになるのだが、その中で長く続いたものの一つが「公文式」であった。
『くもん、いくもん』でおなじみの公文式であるが、そのテレビCMを見た当時、幼稚園に通っていた娘が行ってみたいと言い出し、そのまま、近所にあった教室に通うようになった。
年齢や学年にとらわれず、自分の学習進度で進めていける公文の学習方式は娘にあっていたようで、小学校卒業する数年前には小学校で習う算数の学習範囲は終わっており、算数や数学に対する苦手意識は皆無といってよかった。
数学が得意な子であれば、大学教養課程レベルの微分積分をはじめとする高等数学まで教師不在で自学自習できる公文式は、日本が生み出したギフテッド教育のすぐれたメソッドの一つであるといってよいだろう。
モンテッソーリ教育やシュタイナー教育も素晴らしい教育メソッドであり、高い教育効果を引き出しているのは理解しているが、公文式ほど日本において普及していないのは、教育とはその国の文化や風土の多分な影響を受け、その国で暮らす人々の生活にある程度根ざしたものとなるまでに、ある一定の時を必要とするからであろう。
ただ、その上では、公文式もまだ、歴史は浅く、1954年にそのメソッドが確立されたというが、誕生よりまだ1世紀を経ていない。
日本全国で暮らす子供たち、とくに学校の授業が退屈で、つまらないと感じるかつての自分のような子供たちへ教育とはどのようなものであるのだろうか?
今年、高校生となる娘の成長に伴って、ギフテッド教育に関する興味の対象は自分の子どもからかつての自分と同じを思いをする日本の子供たちへと拡がっていった。
自分が古今東西の教育メソッドを渉猟する中で、重要視したのが、時代性と風土性、そして、汎用性だ。
時代を越え、そして、日本の風土、地域にマッチし、特定のスキルや教科、学問にとらわれない汎用性のある教育メソッドを探し求めた。
そして、ついに知り得たのが「会読」なる学習方法であった。
現代がVUCA(Volatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性))の時代と語られるようになって久しいが、日本において、今以上に変化が激しく、先行きの見通しが立たなかった時代は、江戸末期から明治にいたる維新前後において他にないだろう。
この時代におけるいわゆるエリート、幕末の志士たちが実践していた学習方法がこの「会読」に他ならない。
会読とは一冊の書物を数人で読み込み、ただ、読むだけでなく、読後、徹底的にその書物をテーマに自論を交わし、語り尽くすという議論の場であったという。
その内容は四書五経をはじめとする古典、漢籍から、洋書や医学書、さまざまな外国語で記された書物もあり、会読に加わった数人で翻訳を行い、議論を交わしてゆくことで、練り上げられた訳書となり、全国に膾炙し、富国強兵の一助となったとも聞く。
また、会読の場は教師不在で行われ、現代でいう、生徒同士のアクティブラーニングが実践されていた。
もちろん、参加者が学年で定められているわけでもなく、年齢を越え、自由闊達な議論が繰り広げられ、語り合う書物のジャンルもバラエティーに富み、究極のリベラルアーツを学ぶ環境のように自分は思えた。
こうした会読という学習形態を通じて学んだ当時の若者たちが、西洋の文化、技術をいち早く取り入れ、且つ独立不羈の精神を養い、知と意に磨きをかけ、明治維新後の日本を作り出していったのだ。
なお、この会読は武士の子弟が通う教育機関である「藩校」にて行われていたという。
世間によく知られる寺子屋は、庶民の子供たちが通う「読み・書き・そろばん」が主体であり、会読は行われていなかった。
寺子屋の数には及ばないが、全国に藩校も200校以上あり、今でいうエリート教育を行っていたという。そして、この藩校の流れは戦前の旧制高校まで引き継がれ、戦後復興を主導していった人材の多くが、旧制高校で会読を実践してきた学生たちであったという。
悲しいかな、戦後、教育制度の変革ともに、この会読という学習形態は失伝してしまい、多くの人の知らぬメソッドとなってしまった。
現在の私のひそかな野望はこの「会読」を復活させることである。
ただ、単に江戸期、明治期に行われていた会読を再現するのではなく、その本質である教師に拠らない自学自習のシステムを再構築し、これからの時代を生きてゆく子供たち、若者たちに提供したいのだ。
そのために現在、会読に適した必要な古今東西のテキストの精査、そして、旧制高校の流れを知る会読経験者の知見を収集している。
また、それを自分の家族、知人、知人の子供たちを交え、トライアルを重ねている。
ただ、自分の目指す会読は、ある特定の一部にむけたエリート教育でもなければ、子供たちへの早期英才教育でもない。
いうなれば、過去の自分と同様に学校の授業を楽しめず、知的好奇心を満たすことのできない子供たちが自ら学び、考え、思考を深めていく術を伝えていきたいのだ。
現在は学校に何らかの事情に学校に行くことの出来ない不登校の子供たちや発達に障害を持ち、一般的な学校生活を送ることの出来ない子供たちも増加していると聞く。
今考えると私自身も発達障害障害と診断されて、おかしくない少年時代を送ってきた。
授業中はうわの空で過ごし、普段の生活では常に落ち着きがなく、多動気味である一方、何か興味のあることに没頭すると、過剰に集中してしまい周囲が見えない状態になったりもした。
そんな自分が落ち着け、楽しめる学校唯一の場所が図書室であり、休み時間はひとり、図書室に駆け込み、読書に没頭した。
小学校の図書室はその蔵書が少なかったこともあり、片っ端から読み進め、在学中の6年間でそのほとんどを読み尽くしてしまった。
ただ、今思えば、小学校にあった書物のほとんどが図鑑や児童書、児童文学であり、読むことが容易なものばかりであった。公文式のように中高校生から大学生、大人たちも読む文学や学術書を段階的に読めるような読書メソッドがあれば、当時の自分に教えてあげたいなあと願ってやまない。
それゆえ、現在、こどもたちの読解力に応じて、書物を読み進めてゆくことの出来る段階的読書メソッドも会読メッソドと同時に開発している。
数人で集まり、書物を読み込んでいく「会読」も重要であるが、その前に、一人で一冊の本を読み込む読書スキルが身に付いてなければ、会読を行うことは到底できない。
最近は動画やゲーム、スマホの普及により、読書に苦手意識を持つ子供たちもいるという。
私も子ども時代はファミコンに熱中し、いまでもよく子供とテレビゲームをプレイしているが、読書の愉しみ、また読書を通じて得るものは動画やゲームとは大きく異なる。
例えて言うならば、手軽に楽しめるファーストフードやスナックとある程度のマナーや知識がないと楽しめない懐石料理や西洋料理のフルコースの違いといったというだろうか。
現代では意識的に読書に取り組まねば、楽しい娯楽はごまんとあるため、正直、会読だけでなく、読書という行為自体もこのままゆく失伝してしまうのではないかという危機感もある。
また、現代では所得や資産などの格差より、社会の分断化が顕著で、その影響が子供たちの教育にまで出てきている。
学力格差だけでなく、習い事や旅行の機会にも格差が生じる体験格差なるものまで表出してきているというのだ。
読書がこの学力格差、体験格差を完全に解消するものではないと理解しているが、そのギャップを埋めてゆくことのできる有用な手段の一つであることは信じて疑わない。
なぜなら、自分自身が読書を通じて、様々な歴史上の人物、空想上の人物と出会い、感化を受け、ある時は反面教師として学び、成長してきたからだ。
偉人も悪党も、英雄も犯罪者も皆、我が師であった。
旅行に行けずとも、世界中の様々な国、場所、時代も時空も超え、行くことが出来た。
人類の生み出した叡智、繰り返してきた愚行を知ることが出来た。
そんな読書を幼少期より独り嗜んできた自分であるが、高校時代、Tという友人と出会った。
Tより一冊の書物を勧められ、読後、その内容を語りあったのが、思えば自分が会読の原体験であったのであろう。
この経験は現在にいたるまで、自分を形作った人生の宝となっている。
生涯にわたって残る記憶と生涯にわたって付き合える友人を手に入れることができたのだ。
そんな経験を我が子に、未来を切り開いてゆく子供たちに味わってもらいたいと思うことは過ぎたことであろうか。
現在、会読に使用する使用する教材の精査は着々と進んでいる。
その中心となるのが、古今東西の古典文学となるのだが、ジャンルも物語だけでなく、歴史、哲学、芸術、経済、自然科学と多岐に取り揃えている。
読解力に応じ、段階的に読み進めていけるよう、図鑑や児童書に始まり、漫画も取り入れている。
知ること、学ぶことが苦しくなってしまっては本末転倒だ。
勉強や読書は面白く、夢中になるものでなければ、本物ではないからだ。
会読を行っていた幕末の志士たちもきっと、夢中になり、脇目もふらずに取り組んでいたにちがいない。
自論であるのだが、勉強とは「勉め強いられる」ものではなく、「強さを勉める」ものであると考える。
強さを勉めるとは、自分の中に確固したものを養い、自己を確立してゆく行為に他ならない。
読書や会読とはそのためのツールの一つであり、故に、あれだけの短期間のうちに維新回天の大事業を成し遂げた幕末の志士たちの力の源となっていったのだ。
あとは、この会読を行うための、江戸期の藩校のようなを場を設け、子供たちを集め、その手法を伝えてゆくだけとなった。
そして、そこに集う子供達は、決して高い知能、特別な才能をもった子でなくていい。
ただ、読書や会読を通じて、高い志、強い意志を育み、未来に、社会に貢献してくれる、これからの日本を担ってくれる子供たちが育っていってもらえれば何よりと考えている。
それが自分の抱く密やかな野望であり、叶えたい夢だ。
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