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人生邂逅 ・まなび編 ◆仏教読書会から -17
「業(ごう)について」 より、 仕事の対価とは?
「仏教の大義(鈴木大拙著)」によると、
苦しみを持ち得、感じうるのは人間の特権。 なのだそうです。
また、
苦を避けるのは人間らしくない。 ということで、
まさに、わたしたちは人間らしさと常にせめぎ合っているということでしょう。
さらに、業について身近なことに照らし合わせ理解を深めるために、業を仕事に置き換え
仕事の価値、対価について議論しました。
一般的には、仕事は生活の糧を得るための手段。であり、労苦を伴うものであり、その対価として金銭的報酬を得る。と考えるのですが。
一方では、遣り甲斐、充実感や達成感。といった、精神的な対価があり、極論するなら、これだけで満足ということはありうるのだろうか?
もちろん現実的には、ほかにも名誉、地位、キャリア、人間関係などなど様々な要素があるのですが、ココではことを単純化してみたのです。
で、 そんなきれいごとなど存在するのか? という話になるのですが。
ここで、私事として、経験談を話させてもらいました。
過去に一度だけ、「こんなに楽しく、充実した時間を過ごさせてもらっていながら、給料までもらってもいいのだろうか?」と、まじめに思ったことがあります。
ブログにも何度か出てきていますが、
社内ベンチャーを経験した時です。
おそらく、傍目には 何を好き好んであんな、チマチマした経営ごっこをやってるんだ?
たいして会社に貢献しているわけでもないのに。
と、思われていたでしょう。
しかし、当の本人は大真面目でした。
規模は小さくても、新たな市場やその市場でのニーズを掘り起こし、商品化に生かすことが出来ている。という手ごたえ感は、何物にも代えがたい充実感となっていました。
高々、7名の弱小チームが、数百名規模の事業部に頼りにされる。
そんな経験をさせてもらいました。
営業はモノを売ることだけでなく、むしろ売れる商品を事業部に作ってもらう。そこにこそ、メーカー営業の存在があり、それを実践しているという自負がありました。
どれだけ、会社に貢献できたかを厳密に評価することはできませんが、
この時の市場ニーズを元に既存商品へ機能を追加することで、少なからず 業績アップに貢献できたように思います。
その後、このような心境に至ったことは2度となく、幻のような経験でした。
ただ、今になって冷静に振り返ってみると、給料の保証はされていたのですから、それがあっての想いであった。と言えます。
給与を全部返上するぐらいのことをしていれば、本物だったのですが。
ここで学んだのは、
ほんとうに充実した仕事をしているときは、ヒトは「物的な対価」を求めない(?)。
というよりは、
充実した仕事ができてないと「物的な対価」を求めがち。ということです。