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人生邂逅 ・まなび編         ◆仏教読書会から -48

空海秘蔵法鑰 第十章 秘密荘厳心 より


この書の最終章になりますが、そこに記されているのは、

「私たちすべての心身には、曼荼羅で示されるように、あらゆる仏徳が本来、円満に備わっているのですから、私たちは修行や体験を通してこの事実を確認していきさえすれば、この生涯のうちに、秘密荘厳の仏をこの自身に体現することができるのです。」

とあります。

つまるところ、すべてのひとには等しく仏性が備わっている。ということです。

これが様々な煩悩や執着によって、覆い隠されており、これらを取り払うことで本来備わっている悟りの境地に至ることができる。ということのようです。

結局は自分次第! ということ。

ちょっと拍子抜けの感じもありますが、・・・。

では、どのような修行や体験をすればよいのか?

ここからは、私の勝手な解釈ですが

日々の生活そのものがすべて修行。

一日一日を生きていくことの中にこそ、悟りへの道があるのだと。

本来備わっている仏性に出会うとは、自分探しではないのか。

ひとが生まれながらにもっている本来の自分、自分らしさ。が、
さまざまな雑念や執着心によって覆い隠され見えなくなっている。としたらそれを少しづつ取り払っていく過程がまさに修行であり、日々の生活そのもの。

ということではないでしょうか。

これは、私の勝手な解釈ですが、私の中ではけっこう納得感があります。

日々これ修行。

これを意識しすぎると、あまりにも窮屈になりますが、
自分らしさに近づけていく。こと。と考えてみてはどうでしょう。

自分らしさは、ここちよさでもある。

と、そう考えるとちょっと心が軽くなります。

気持ちよく挨拶をする
きちんとお礼を言う
約束したことはちゃん守る
自分が嫌なことはヒトにもしない
などなど

そう考えていると、頭に浮かんだのが大谷選手
大谷さんは、世界一の野球選手になることが自分を極めることと考え
すべてをそこに向けて生きている。

野球をする事、勝利することが楽しくて仕方ない。
すべてはそのために。

何をやっていても、無理無理感がなく自然で、楽しそうに見えます。

ゴミ拾いをあれほどさりげなく、それでいて楽しそうにする人を見たことがありません。
  あの若さで、すでに悟りの境地に達しているのです。

ところで、悟りの境地に至ったとしても、それは一過性であり、それを保つためにはたゆまず修行をし続けることが求められます。

そういえば、先日テレビ番組で栗山元WBC監督が、大谷君は修行僧みたいだとおっしゃっておられました。

     まさに、日々修行! 生涯修行! です。

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