等身大大学生の読書感想文-月曜日の友達-
特別になりたい普通の願いと、普通になりたい特別な願い。
中学のころの自分は曲がりなりにも人付き合いを頑張っていた。その中で、いつしか自分は何者でもないと思うようになった。運動ができる、勉強ができる、格好がいい、背が高い、面白い、優しい。そのどれにも自分は当てはまらなくて、普通であることを嫌でも思い知らされていた。
「特別になりたい。」
いつからかそう思うようになった。
率先してグループのリーダーをしたり遊びに自分から誘うようにした。部活も勉強も頑張った。恋もしようと努力した。
足りなかった。
それでも足りないことを知った。どの部分でも特別になれなかった。自分は何者でもないと痛いくらい思い知った。
高校生になり、この漫画と出会った。
水谷にも月野にも自分は似ている。水谷が大人になる周囲の人々を羨んだように、月野が特別になりたいと願ったように、自分もそう願っていた。
これは自身の青かった頃との答え合わせだ。
まず初めに自身が惹かれた絵柄について。
作者である「阿部共実」さんの絵柄の特徴として、リアルな風景描写とデフォルメされたキャラクターのギャップが挙げられる。背景として描かれる学校や田舎の風景の緻密さは机や紙パックのジュースにさえ広がっており、さらに全体的に線画で描かれているためごちゃつきも少ない。そこにデフォルメされたキャラクターが乗っかることでかなり現実に近いシーンを感じることができる。緻密に描かれた風景に目が行きがちであるが、そこの空間でキャラクターたちが会話をするシーンやアクションのコマの切り取り方が映画を思わせるような様相(例えば是枝裕和監督や庵野秀明監督)であり、風景とキャラクターの視覚的効果、とりわけ画角の見せ方がとても魅力的に感じる。
この作品は途中で水谷と月野の力関係が入れ替わる。初めて会った頃の月野はミステリアスで、物事を達観して見て、兄弟の面倒を見ているなど、水谷にとっては憧れに近い存在になっている。水谷が周りと合わせることに悩んでいる中で月野は己を貫き、水谷の悩みにも明確な答えを提示し、月野が水谷を行動や会話で肯定してくれていた。それを経て水谷は自分に少しずつ自信を取り戻しありのままの自分を隠さず、友達との関係も良好なまま学校生活を過ごしていた。
一方で月野は次第にその憧れの姿が暴かれていく。水谷と月野がけんかをするシーンで、本当の自分は小心者で、子供っぽくて、ただ少し変わった人なだけであったことが月野から言及される。変わっている二人として初めは関係が続いていた二人だったが、月野が言及したように水谷は個性が強すぎるがゆえに扱いに困るだけでみんなからは好かれている。ただ少し変わっているだけの月野と強すぎる個性を持っている水谷。本当に悩んでいたのは月野の方で、水谷ではなかったと、この場面で明かされるのだ。同作者の作品「ちーちゃんはちょっと足りない」でも似たような事例があったが、メタ的な視点として、主人公になっている人物は真の意味で悩んでいない。その裏にいる主として描かれない人物こそ現実に悩みを持つ人間に最も近い存在である。そんなことをこのシーンや同作者の作品から感じとることができる。
自分は描かれない側の人間だった。そういう意味で、自分は月野に共感していたのだと思う。特別になりたい理由がそうだ。この漫画には主題歌がありそこではこのように表現されている。
「普通にも当たり前にもなれなかった僕らは
せめて特別な人間になりたかった
特別な人間にもなれなかった僕らは
せめて認め合う人間が必要だった」
月野自身もこう語る。
「特別になりたかった。
何でもいい。一芸でもいい。人と違えば 普通と違えば特別になれる。
特別は価値だ。
それが超能力だった。」
普通になれないから特別になる。なろうとして特別になる理由なんてこれに尽きるのだろう。
では、それで特別になれなかった人たちはどうしたらいい?
一芸にすら秀でることができなかった自分は、特別になろうとあがいた結果普通の人になった。部活を頑張り、勉強を頑張り、友達を作った普通の人間になった。
自分は月野にはなれなかった。
普通と特別の違いは何なのだろうか。
才能の有無だろうか。個性を殺さないことだろうか。誰かにそう認められることだろうか。
水谷は語る。
人が自ずと特別になるんじゃない。
人の心が人を特別にするんだ。
特別とは誰かからそう呼ばれる名前のようなものか。
自分は最後にこう納得した。誰かが自分を特別にするのか。いや、特別にしてくれなくても認めてくれる人さえいてくれればよかったのか。だって自分が特別になりたかったのは誰かから認められたいと思っていたからだ。認めてくれる人の数が多ければ幸せだと、そう思ってた。でもそうじゃなかった。一人でもいいから認めてくれる人がいればそれで十分だった。
私にはその誰かが足りなかった。
この作品と出会ってから自分の人付き合いの方法が変わった。特別になりたいってのはあまり変わってないかもしれないけど、少なくとも特別でありたいと思う人を大事にするように努めている。
その人のことを、友達と呼ぶのだと思う。