
セールスライターが「過去の手放し」について考える
今、8割コーチング2割スピリチュアルのような講座を受けている。
理由は「この先ライターとして個人事業主になるのに、この豆腐メンタルじゃやっていけない」と感じたからだ。
「ちょっと前向きに案件応募できるようになればいいな」くらいのつもりで個人面談を受けたのに、いつの間にかどっぷりハマってしまった。
1日2つ、過去のネガティブな出来事の捉え直しをしている。
そういう宿題が出ている。まるで子どもみたいだけど。
正直、ネガティブなことは考えるのは想像以上に億劫で、毎日2つなんてこなせずに、1日1つのときもあるし、なんならゼロのときもある。
今日「向き合うの嫌だなぁ」と気が進まない、大きめなネガティブ事件と向き合っていて、はたと気づいたことがある。
単純だけど、とても重要な気がするので書き留めておく。
それは・・・
ずっと、ずーっと、ずーーーーっと。
過去の苦い経験を、形を変えて品を変えて。
「やり直そう取り戻そう」として私は生きていること。
うまくいかなかった出来事を取り返したくて、失敗して
失敗が2乗になったものを、また取り返したくて失敗して、
失敗が4乗になったものを、また取り返したくて失敗して。
失敗に失敗を重ねて雪だるま式に大きくなって。
でも諦めきれずに、まだ意固地に取り返そうとして。
これを永遠に繰り返していたら、いつの間にかこの歳になってしまった。
いま気が付かなかったら、これから先も、失ったものを取り戻すためだけに生きてゆくことになっただろう。
でも。
失ったものを取り戻すって、
一体誰から?
一体何から?
失敗したこと
残念だったこと
苦しかったこと
悲しかったこと
裏切られたこと
逃げたこと
恥ずかしかったこと
言えなかったこと
それは、やり直す必要も、取り戻す必要もなくて
ただ「手放せば」よかった。
カタチを変えて挑戦するのではなく、
つらかったね
さみしかったね
くやしかったね
そう言って手放すだけで、きっとよかった。
手放したらその分空間ができるでしょう?
そこに、新しい何かがスコンと入ったら、
見える景色はガラッと変わるのかな・・・
そんなことを考える週末でした。