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山田尚子『たまこまーけっと』(2013)『たまこラブストーリー』(2014)感想

きのう『きみの色』を観てきて感想を投稿しましたが、そういえば『たまこ』の感想はまだnoteに上げてなかったな、と気づいたので、数年前に見たときの感想文をいまこちらに公開します。




『たまこまーけっと』


※すべての話数の感想を書けてはいません。


2022/1/2

3話 史織ちゃん回
寝そべりながらiPadのミニ画面で観ていたが、スクショができないことを苦痛に感じるくらい、いちいち画(作画&美術&絵コンテ&演出&撮影)がめっちゃ良くて、やっぱ京アニすげえな〜〜と思った。(EDの映像もめっちゃ好き。山田尚子特有のピンぼけ/手ブレ演出を多用した映像)

史織の心理を1話かけて丁寧に描く回だが、彼女のモノローグを一切あらわにせず、動作の芝居だけで描ききってしまうのがとても良かった。

たまこと史織はどちらも髪色・髪型が似ていて、どちらも眼鏡を掛けることもあり、かなりキャラデザが近しい。銭湯シーンでは裸眼の状態でさらに顔が似ているとわかる。対照的な性格を描くにあたって、あえて外見を寄せにいく手法はテクニックとしてあるのかなぁと思った。『ハルカの国』のユキカゼとハルカもそう。


22/5/27
第4話

22/5/28-29
第5話~第10話まで

最近、『告白実行委員会』とか、画のクオリティがあまり高くないアニメを観ていたので、京アニ&山田尚子の作画・絵コンテ・演出・美術がレべち過ぎて逆に引いてしまう。マジですげぇわ。

あとOPアニメーションのコンテも良すぎる。OPはたまこメインでのダンスMVチックで、音ハメが素晴らしい。微妙に遅取りする感じとか、キャラ動作とカメラ(カット割り)動作での音ハメのバランスとか完璧。EDも言わずもがな最高。『One Last Kiss』のシンエヴァPVで書いたように、いかにダンスとして質が高いかを語るnoteを書きたくなっちゃう。


4話と9話で扱われる小学生の妹:あんこの恋愛譚は、『かみちゅ!』の弟くんの逃避行回を思い出す。女子主人公が親しみやすく天真爛漫でややおバカなキャラであるときに、相対的にめっちゃしっかり者の妹がアニメではいがち。『プリパラ』ののんとかね。山田尚子・京アニでいったらまず『けいおん!』を挙げるべきなのだろうけれど。

5話の臨海合宿回もめっちゃ好き。夏サイコー!

山田尚子特有の脚・足・膝裏だけを映す(語らせる)カットを観ていると、これって『ラブ&ポップ』『シン・ウルトラマン』での庵野秀明の女体フェチアングルとほとんど同じでは……? と思う。人類の身体に関する文化的コードが今よりちょっとズレていたら、山田尚子のフェチ演出も庵野秀明と同じくらいにバッシングを受けていただろう(それともすでに受けている?) まぁ実写とアニメではだいぶ違うだろうけど。


たまこの友達の、直角と梁と工具が好きな子(牧野かんなさん)がめっちゃ好みっぽい。『やくならマグカップも』の直子ちゃんみたいな。ステロタイプな女子の趣味からは逸脱した、独自の嗜好と価値観を持っている自由なキャラクターがタイプ。新学期の自己紹介で「直角が好きです」なんて宣言されたら惚れるしかないでしょう。

オタク、こういうキャラに弱い(主語デ)

(それぞれの好きなものを叫ぼう)「直角~~~!!!」
「カナヅチより軽いものは持てません」
牧野かんなさん好きすぎる・・・・・・(泳げないのってそういうことなのか)
無表情マイペースキャラといえばミリマスの真壁瑞樹さんも思い出す。ド好みの系譜。あのよくやる手指でキツネみたいなのをつくるポーズ真似したくなる。
CVは『ゆゆゆ』のにぼっしーの長妻樹里さん。

直角ハンドサイン


序盤ではあの鳥:デラちゃんが邪魔だなぁと思ってたけど、慣れてきたのか、チョイちゃんが来たからなのか、受け入れられるようになってきた。登場人物がデラの身体を持って伸ばしたり振り回したりすることで、彼の重さが伝わってきて良い。それでようやくこのアニメ内での実在感を見いだせるというか。
こういう男性精神のギャグ要因マスコットキャラの既視感は『BLEACH』のコンだったわ。


第11話
「良い柱使ってる!」「構造が気になる」かんなさん好きすぎる。

「海の向こうの国の王子」の妃の座より、「小学生の頃からコツコツ貯めていた商店街のポイントカード景品のメダル」のほうが嬉しいたまこ。その両者が合流してたまこの前に現れる(差し出される)ラスト。

「餅屋の娘」設定といいヘテロ幼馴染(こっちも「餅屋の息子」)持ちといい商店街の愛されっ子設定といい、ものすごく保守的な話ではあった。そういうストーリーの終盤で、保守的な共同体からの脱却を促すのがリベラル的なナニカではなく、異国のまた別の保守的な共同体との邂逅である、というのはなかなか良い。「王家の妃は首筋にほくろがある」設定といい、それが亡き母親とお揃いである設定といい、保守思想が徹底しているので逆に信頼できる。

そういや、第1話が年末から年明け、第2話が2月(バレンタイン)……で、全12話がそのまま1年間に対応しているんだな。こういう構成のTVアニメ/ドラマってよくありそうだけど他に思いつかない。


第12話
メチャ・モチマッヅィは草wwwww
このアニメのこういうくだらないギャグ普通に好きなんだけど、考えてみれば「名前」というのも本人の意志で決められず、親や先祖から不可避に受け継がされる父権性の象徴でもあるから、それを理由に「名前を変えてから出直してこい!」と相手方の〈父〉に言われるのは理不尽であり、単なるギャグ要素にとどまらないんだな・・・と感心した。
そもそも「たまこ」や「あんこ」「まめだい」「ふく」それに「かんな」とかも運命付けられた名前だからなぁ。

たまこが商店街の皆さんを名前でなく「さしみ屋さん」「お花屋さん」と店名・職種で呼ぶの、コルタサル『南部高速道路』でまわりの人々を乗ってる車種で呼ぶやつみたいだ。どちらも商業的な記号に基づく共同体だが、その歴史性が正反対なのも面白い。
※【note投稿時の追記】今だったらコルタサルより先にトラファルガー・ローを出すと思う


しおり「三角関係??」
かんな「……いや、ぜんぜん図形になってないんじゃないかな」(両手で四角いカメラを作って覗き込みながら)

いいですね~~(かんなちゃん全いいねbot)

・他に好きなかんなさんの台詞
「……土台から崩れたね」
「あれ……? ネタだったのに……」


おわり!!! いい最終回だった!!! いい作品だった!!!
いやぁ~~最終話は特に絵コンテがバチバチに決まってて鳥肌立った。デラをたまこが追いかける一連のくだりとか。

最後までみるとデラ好きになっちゃうわ~~~ もち蔵とたまこをつなぐ糸電話より太い架け橋の役目でもあったのかお前。
凡庸な読みだけど、彼が共同体へ参入することで物語が始まる異邦人ポジションとして、デラは視聴者の換喩でもある。



1話を(1年ぶりくらいに)再び見返した。やっぱり初見だとデラが語り手でキモいし世界観の把握に戸惑うよこれ。商店街の人たちのキャラも単純に多いしで、不親切な作りやなぁ。
デラが花屋の段ボールから出てきたのとか、たまこが商店街のポイント貯めてるのとか、終盤に向けてのいろいろがはられていたんだな。

2話バレンタイン回、みどりのたまこへの同性愛がここまでがっつり描かれていたんだな……めっちゃ切ない。

『たまこラブストーリー』をようやく観れるが、もち蔵だけじゃなく、みどりの恋の行方はどうなるんだ・・・



『たまこラブストーリー』


2022/5/30

色んな知り合いから「『たまこまーけっと』は正直そんなにだけど『たまこラブストーリー』はヤバいからそのために観る価値がある」的なことを言われてさんざんハードルを上げられていた。しかしTVアニメ『たまこまーけっと』の時点でかなり好みだったので逆に不安だった。

結果として、ハードル上がり過ぎて期待外れ、みたいながっかり感はいっさいないが、期待を高く超えていくこともなく、普通にいい映画だった、という温度感。いや本当によく作られたいい映画だと思います、ほんと。

タイトルやメインビジュアルの時点で、幼馴染ヘテロ恋愛成就モノであることはわかりきっているので、そのうえでたまこの同性の友達みどりの恋愛をどこまで描き切るのかに恐る恐る注目しながら観ていたのだけれど、カミングアウトはせず、ヘテロ幼馴染恋愛の後押しをしてしまう切ない帰結でそこは肩透かしだった。

しかし考えてみれば、本作が「人知れず失恋していく同性愛を描きつつメインはヘテロ恋愛」だったのに対して、数年後に作った『ユーフォ』そして『リズと青い鳥』では「ヘテロ恋愛を描きつつメインは同性愛もしくは同性間の感情(”引力”)を描く」ことへと舵を切っていて、その段階的な変遷に想いを馳せるのは興味深い。とはいえ、リズ鳥も成就ではなくすれ違いに終わっているので、二次創作が捗る「失恋エモ」をさらに超えてしっかり同性愛成就を描いてくれる日に期待。『平家物語』でも女性同士の関係(シスターフッド?)をメインにしているらしいけど、さすがにそれも同性愛ではないだろうし。

本作の内容に戻ると、『たまこまーけっと』を観ていて、たまこ達が所属する部活の「バトントワリング」という餅ーフだけが、作中で唯一「もち」要素との明確な繋がりが見いだせず、なぜバトントワリング……?と最後まで腑に落ちなかったが、本作までとっておいた、ということなのかと納得した。

両端の白くてまるい部品、その間のバランスポイントは中心からは少しずれている(両端の重さが等しくないため)。それを「たまこ」と「もち蔵」を結ぶ糸電話に仮託して、トワリングの「投げて、受け止める」動作も告白行為に重ねている。とてもわかりやすい。

そのうえで、これまでは向かい合うふたりの部屋に(あいだの通りに対して垂直に)架かっていた糸電話が90度回って、過ぎ去ってゆく新幹線と平行なポジションへと移したふたりを水平引きカメラで撮る構図のなかに組み込まれる。糸はたわみ、糸電話としての働きはせずとも言葉が伝わるほどに近くなった距離。しかし声は幼いころから聞きなれた「こもった」声。とてもわかりやすい。

まごうことなき「直角」映画でした。牧野かんなさんサイコー! 家建てて♡
(そういえば、そのかんなさんの指導のもと、校内でたまこが告白の返事をしようと廊下の出会い頭にぶつかろうとするシーンで直截的に直角の「曲がり角」を利用してカメラもパンでとっていた。細田守『竜とそばかすの姫』の序盤シーンも思い出す。学校とは直角空間なのであった。)

糸電話に話を戻すと、のちの『リズ鳥』でも、向かい合う校舎を挟んで光の反射で(ディス)コミュニケーションを図る構図があり、そんなに好きなんですね……とは思った。

いちばんグッときたのは、もち蔵の告白を飲み込み切れないたまこが父から「ちょっと仕事休んでいいぞ」と言われ、トレードマークのもち型髪留めを外して、早朝の商店街を眺めるシーン。あの髪を下ろした新鮮さと、いつもと変わらぬ町の薄明を映していく手つきに泣けてしまった。

あーあと、本編ではデラちゃんを一切喋らせないのはいいですね。TVシリーズのファンタジー要素を劇場版では意図的に脱色して雰囲気の差異を出すのは『きまぐれオレンジ☆ロード あの日にかえりたい』を思い出します。




まとめ

久しぶりに感想を読み返しました。『たまこ』2作品もまた観返したいですが、その前に『聲の形』ですかね……山田尚子作品のなかではあんまり好みじゃないんですが、『きみの色』を受けて「赦し」についての映画としての重要度が跳ね上がったので。
あとは、なんといっても『平家物語』がまだ観れていないので早く観たいです。日本的な宗教観(仏教?神道?)からキリスト教へ、という流れ。



これまでの山田尚子・京都アニメーション作品note




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