『懐かしの料理番組』を見て気付いた、転職の「選択」で疲れる理由
「現職に残るか」「退職するか」
「引継ぎ先はAさんにするか」「Bさんにするか」
「新しい会社でのパソコンはWindowsか」「Macか」
「今日の晩御飯は肉か」「魚か」
…
……ああもう!誰か決めてぇぇーーー!😭😭😭
「選択」だらけの数日間。思い出した番組がある
退職を決めてからの数日間、無数の「選択」をしなければいけない機会がありました。
そして何か選択をするたびに、ものすごく辛くて、疲れることに気がつきました。
なんでこんなに疲れるんだろうなあと思いながら、食欲もなく、ご飯+味付け海苔のような適当な食事をしながらふと思い出した番組があります。
『どっちの料理ショー』。
見ていた方、いますでしょうか?
司会の関口宏さん(赤チーム)と三宅裕司さん(黄色チーム)が、「究極の塩ラーメン」vs「至極の味噌ラーメン」のようにそれぞれ似通ったテーマの料理の一品をセレクトします。
食材のこだわりや調理過程などのVTRをそれぞれ流し、ゲストの芸能人数名が最終的に自分が食べたい方の料理を「せーの!」で選び、多かった方のチームのみが選んだ方の料理を食べられるというルールです。
この番組が、まさに私がいま感じている「選択の辛さ」を煮詰めているような構成だったなと気づいたのでした。
選択の辛さを感じる構成①「機会損失」の可視化
人が選択の時に感じる「損」には、実は2種類あります。
それは、①選んだ選択肢にかかる損(費用)と、②選ばなかった選択肢で得られた利益を失う損です。
後者は特に「機会損失」と呼ばれますが、今私が読んでいるワーママ界で有名な尾石晴さんの新刊にわかりやすい説明があったので紹介します。
どっちの料理ショーはまさに、この機会損失を目の前で見せつけられる構成になっています。
多数派ではない料理を選んだゲストの芸能人は、選んだ料理を食べられないだけでなく、目の前で「自分が選ばなかった方」の料理を美味しく食べている様子を見せつけられるわけです。
それはいわば、「機会損失(もう一方の選択をしていれば得られたはずの利益)」の可視化。
結構エグい番組構成だと思いませんか?
選択の辛さを感じる構成②「少数派」への罰の可視化
どっちの料理ショーが、例えばVTRでアピールされた料理の内容について専門家による採点で勝ち負けが決まったり、食材に関するクイズで獲得ポイントの高かったゲストだけが食べられるといった仕組みであれば、食べられなかったとしても納得感はあるかもしれません。
負けた理由が、実力や努力の不足だからです。
しかしこの番組はそうではなく、単純にゲストの芸能人の多数決で食べられる料理が決まります。
そうすると食べられなかったゲストは、自分が他の多数の人と好みが違う少数派であるというだけが理由で食べられないということになり、少数派=間違った選択肢というのが見せつけられるわけです。
長年番組は見ていましたが、全会一致で同じ料理を食べるといった回はほとんど記憶にありません。
高確率で、食べられない少数派が生まれます。
努力や実力で負けた訳ではないのに、好みが少数派というだけで食べられないというのはなんだか悔やんでも悔やみきれないというか、自分の選択(好み)に自信を無くしてしまいそうですよね。
まとめ
今の私が体験している「選択の辛さ」は、どっちの料理ショーが可視化していた2つのポイントを、ひしひしと感じているからだと気づきました。
つまり、機会損失の大きさにビビり、自分の選択が少数派であるために自信を失っているからです。
刺激と学びを受けることの多い優秀な同僚が沢山いる高年収の外資系コンサルを辞め、年収半分以下となるスタートアップへの転職を決めた私。
金銭面だけでも「機会損失」は明らかですし、周りの人からの反応を見てもこのような選択をする人はきっと「少数派」なのだと思います。
そんな転職の決断に付随するすべての選択に対して、私は今ビビり、自信を無くしているのです。
この辛い精神状態からの立ち直り方はまだハッキリしないのですが、少なくとも10月末の退職まで続くこの「選択疲れ」をなんとかして乗り切りたいと思います。