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大人になった今だから行ってみたい、平和記念資料館
8月15日は終戦記念日。敗戦から79年が経過しました。
8月は広島・長崎の原爆投下、終戦記念日があり戦時中の映像を目にします。8月は日本人が戦争について考える時期ではないでしょうか。
少し前に平和記念資料館に行きました。
修学旅行で平和記念資料館、原爆ドームに行った人も多いと思います。
広島は、小学校、中学校の修学旅行で定番のスポットです。
修学旅行で連れていかれても、私は全く興味が持てませんでした。
でも、大人になってから行くと全く印象が違います。
こういうところは、大人になってから行くべきですね。
広島に投下された原子爆弾、通称リトルボーイ。
長崎に投下された原子爆弾、通称ファットマン。
広島で14万人、長崎で7万人が亡くなりました。
当時の広島市の人口は約24万人でした。8月6日には35万人が広島市におり、14万人が原子爆弾により死亡しました。つまり、広島市にいた約40%が死にました。
広島市は建物の8割が中心地の半径3キロメートル内にあったとされています。米軍からすれば、広島は原子爆弾を投下して効率的に殺傷できる都市だったわけです。
さらに、注目すべきは、米軍が建物疎開の実施を狙って投下した点です。
建物疎開に動員されたのは、広島市の地域国民義勇隊22,500人、郡部の地域国民義勇隊7,062人、動員学徒9,111人を合わせた合計38,673人です。
建物疎開は広島以外からも犠牲者を呼び寄せました。
つまり、米軍は人口が密集している広島市を標的とし、さらに建物疎開で人が集まる日時、場所を把握したうえで、そこに原子爆弾を投下しました。
今なら民間人を狙った国際法違反として問題になっているでしょう。
他にも大勢の日本人が亡くなりました。
1945年3月10日の東京大空襲では、日本の木造家屋を焼き払うために開発されたM69小型焼夷弾を米軍は大量に投下しました。下町に住んでいた人は業火に焼かれて死にました。死者は10万人と言われています。
外国人と話していると「日本人としてどう思うのか?」「アメリカを恨まないのか?」と聞かれることがあります。デリケートな話題なので聞く方も聞く方ですが……
ただ、戦争に関して、原爆に関して、自分自身で整理しておかないと答えられません。
唯一の被爆国である日本。
そんな日本に生まれた日本人として、戦争をどう考えるべきか?
これが日本人としてのアイデンティティなのかもしれません。
残念ながら、日本の教育機関が教えるような「戦争は悪いもの」「話し合えば何とかなる」では戦争は無くなりません。
戦争は各国の利害に起因して生じます。独自に武力を有した上で、各国の利害関係を調整する、そんな外交が日本に求められているように思います。
学生時代に学んだことを大人になってから学びなおすと、新しい発見があります。
大人になった今だから、平和記念資料館に行ってみませんか?
以上、終戦記念日に思ったことでした。