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スタインベック 「ハツカネズミと人間」

恥ずかしいことだが、小説を一冊ちゃんと読み終えた。

(人生で指を一度折ってで数えられるほどしか読み切ったことがない)
(いろんな本をつまみ読んで途中でやめてしまうのだ笑笑)

今日はそのあらすじと感想を紹介していこうと思う。
「ハツカネズミと人間」スタインベック作

ちなみにノーベル賞受賞の有名作家らしい。
自分が読み切れるくらいなので、これから読む人に自信をもってオススメできるんじゃないかな?

作品の説明

舞台はゴールドラッシュ期(19世紀中頃)のアメリカ・サリーナス川(カリフォルニア州)の沿いの農場。
農場を転々として働く2人の男、
ジョージレニーが主人公である。

ジョージは小柄だが引き締まった顔をしているキビキビとした印象の男。
レニーは巨体で締まりの無い顔つき、一言口をきけばわかってしまうほどの木偶の坊。でも素直な性格で一人で二人分の大麦を軽々と運べる働き者。

つまり、二人は小柄なジョージがブレイン役となって、土地を転々とし土地所有者のもとで雇われている。雇用環境は給料は月50ドル、寝る場所と食べ物はあるが簡単なベッドとリンゴを入れる木箱で作られた棚があるだけ。
決して奴隷ではない。しかし彼らはそうやって雇われて得た金を、たまに街に出ていきアルコールと女に使う。

作者の意図:ドライでシビアな労働社会の中だからこそ一層暖かいヒューマニズム

作者は開拓時代の労働者階級の現実の厳しさを農場で働く労働者の会話で描く。
農園のラバ使いの名人で名実ともにリーダー格のスリムという男がいる。彼は言う、
「農場で働くやつのはだね、ただやってきて1月寝床を貰い、1月働くと勝手に一人で出ていく、、、ひとのことなんか気にもかけやしないー」

つまり、農場で長く働くスリムは、労働に従事するうちに、兄弟や友人、親子関係から切り離され孤独になってしまった男達をずっと見てきている。

そういう男達はだんだんとろくに口を効かなくなる。ひねくれてくるんだ。そうするとケンカをするキッカケをみつけたがって暴力したがる。

農場の息子のカーリーという男がいて、彼はレニーがでかいだけの木偶の坊と見抜くと、レニーに吹っ掛けて暴力といじめのチャンスを伺う。

作者スタインベックは、社会の発展とは裏腹に労働者たちを乾いてしまった存在として犠牲的に描く。その対照的な存在が2人で農園を歩くジョージとレニーだ。切れ者のジョージは一人でもやっていけるのに、わざわざレニーを連れて歩く。全く理にかなっていない。ちょっと目を離せばトラブルを起こすレニーと歩くのは非合理的だ。

つまり著者の試みは、一人で黙々とやっていく孤独な労働者たちと、利害関係のない二人を対比。そして勿論、後者の何でもない二人に、暖かいヒューマニズムを隠喩的にかつくっきりと描く。読んでいる人に本当に大切なことを問いかけようとする、、、そういう作品だった。

二人のささやかな夢と希望

レニーという人物は物覚えも悪く難しい話にはオウム返しだ。しかし彼はジョージの語る夢のことだけはしっかり覚えている。二人でいつか自分たちの農園をもってそこで鶏とウサギとムラサキウマゴヤシの牧草地を持つ。この会話は何度も二人で行われる。それがどれくらい現実的であるかというよりも、こうやって2人いるから希望と夢を語り合えるのだ、、

話の展開としてはこの突然やってきた二人の語る夢が、農園で働いていた、同じくあぶれ者の老人と身体障害者である黒人に希望を与える。しかしそういう協力的な人間もいれば夢を壊そうと足を引っ張る者もいる。そしてレニーはそういう人物の格好の獲物となってしまい、、、

今も昔もどの土地でも楽に生きれる社会は存在しない。

発展した今の労働環境と比較したらどうだろう??まず全く状況は違う。
だって真面目に働いていれば冷暖房のない木のベッドとリンゴの木箱の部屋で寝泊まりは強いられない。家に帰れば安全なベッドがありシャワーがあり電化製品のなかにあるものはなにを食べてもいい。しかし時に、私は会社という大きな存在に対して無力感を感じたり労働していることへの疑問を感じてしまう。こんな感覚を持ちながら、働いている時点で社会不適合者なのかもしれないしただだらしがない夢想家な性格なのかと嫌になる。

また現在のSNSやニュースを見ていて、心あったまるニュースや経済の明るいニュースというのは多くない。むしろ不満や怒りを人にぶつけたりするような人が多いし、とんでもない人になると関係のない他人を巻き込んだ事件を引き起こす。
だからあまり最近ニュース見ないしもsNSもやっていない。ただ距離を置くと社会からの孤独感が高まる。

時代は変わり、社会が発展しても私達人間というのはそんなに変わらないのかもしれない。心が荒めば、怒りの矛先を探したりあるいはシニカルになっってそしてやったあと自己嫌悪する。今の週5日の労働義務さえ守れば自由に生きれる環境が大変恵まれているのもわかる。ただ同時になにか、近代社会が間違っているような気もする。
みんながハッピーに生きれる社会とはなにか、そんな時代は過去も昔もあったかは疑問だがレニーとジョージはそれの一端だった。いつの時代も必要なのは人との繋がり、怒りをぶつける関係・対照よりも、夢のような夢を語り合える仲間、また小さな感謝を伝え会える家族だ。それは時代や社会が異なっても、能力や見た目が異なっても、ハツカネズミも人間も誰も一人で生きてはいきたくないしそもそも一人で生きれるほど社会は優しくないのに、資本主義社会は私達を孤立した存在に切り離すのが得意なようだ。


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