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震災とコロナショック

私の祖父は三河大地震の被災者

大学生の頃
大学の先生の活動のつながりで
東日本大震災の災害復興として
岩手県宮古に通わせて頂いた

その頃は
「何かできることはないか」
自分のエゴも感じつつ
建築学生として
復興に関わりたかった
ただ、どれだけ共に時間を過ごしても
どうしても当事者ではなかった

まちの人は
信じられないくらいあったかく
たくさんの体験をさせいただいた
今の自分の一要素として一生の宝物


今は世界中の人々が当事者だ
そして、地震、津波、二次災害、、、
と災害が連続する以上のコロナショックがくると予想されている

学生の頃も同じように悩んだ
「何ができるだろう」

渦中の今は
多くの人は外出を避けたり
うつしたり、うつされたりを避けることが
「できること」とされ

影響力や発信力の大きいインフルエンサーは
それぞれ自主的な活動をしている


僕は何ができるだろうか
あの体験からできることは増えていないか
それはエゴではないか


繰り返しになるが
祖父の被災した時の話を聞いて育った
少し嫌だったが
震災への恐怖と知識
何より興味を持った
実は建築を志した一つの理由でもある

祖父は貴重なかたりべとしてテレビにも出ていた

「ああ、それでいいんだな」
そう思った

情報が溢れかえっているし
正直何が一番正しいのか判断するにも時間がかかる

だからといって間違えた理解をすると
大切な人のリスクが上がる

だからこそ自分自身が逃げずに
情報の受け止め
自分の考え、体験を発信することに意味を持たせる

祖父は貴重な被災者だからテレビに出ているわけではない

「意味を持った体験」
「意思を持った情報」

をこれから被災するかもしれない人に届けているから
出演して語っているのだろう

そのことを受け止め
僕も発信を続けていこうと決めた


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