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中でも、外でもないーーメキシコに広がるパティオの世界

メキシコで暮らしていると、パティオと呼ばれる中庭によく出会う。

中でも、外でもない。建物と自然が調和することで生まれる不思議な空間ーーそんなパティオの世界に、わたしはいますっかり魅了されている。

地方都市で出会う、古き良きパティオ

パティオはもともと、スペイン風建築の中庭や庭を意味する。けれど、ラテンアメリカに場所を移せば、その建築スタイルに関わらず広く中庭や囲い場を表すことが多い。

メキシコの日差しは肌を刺すほどに強く、乾いた風は砂ぼこりを運んでくる。植民地時代からこの国に定着したパティオは、そういった厳しい気候から人々を守り、癒してきた。

地方都市に行くと、素朴なパティオによく出会う。灼熱の太陽光から逃れるように入った衣料店や土産物店で、薄暗い入口を抜けたあと、前触れなくぽかりと眼前に現れる空間。

まるで、誰かがくり抜いていった跡のようなその「抜け感」に、一瞬戸惑いすら感じる。差し込む自然光が柔らかく、空気はひんやりと冷たい。街歩きに飽きた子どもを古びた噴水で遊ばせながらぼんやりと腰を下ろすと、まるで時が止まったような静けさに、その場をしばらく動きたくなくなってしまう。

進化する都会の新しいパティオ

一方、わたしが暮らす首都メキシコシティでは、地方都市とは少し異なる「進化版パティオ」に出会うことができる。

たとえば「レストラン ロセッタ」。メキシコ、イタリア、フランス、中東といった様々な地域のテイストを絶妙な加減で融合させた創作料理を提供していて、いつ行っても新鮮な驚きと感動をくれるのだが、この店で客の心を動かすのは料理だけではない。

間口の狭い木の扉を抜けると、細長いダイニングの先に、鮮やかな緑と天井から降り注ぐ自然光が見える。案内されテーブルにつくと、そこには教会を思わせるような柔らかい光で満ちていて、訪れた客は皆、壁に描かれたアートや頭上から下がる植物を眺めながら、注文した料理が運ばれるまでの時間を思い思いに楽しんでいる。

初めて訪れた日から、わたしはこの店が大好きになり、以来結婚記念日や誕生日など、「ハレの日の食事」にはここを選ぶようになった。

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それから、友人に薦められ通うようになったシンガポール料理店「マカン」。メキシコとアジアのいくつもの国のテイストがミックスされた、不思議な魅力を持つ店だ。

ここでは外と中の境界が面白いほどに曖昧で、食事をしていると、自分がいまどこにいるのか分からなくなるような感覚を味わう。

新鮮なフルーツを取り揃えたカフェ、「オホ・デ・アグア」を初めて訪れた際も、店の敷地に一歩足を踏み入れた瞬間に、その世界に引き込まれた。

青い扉の入り口をくぐると、市場のように並んだトロピカルフルーツの色鮮やかさに目を奪われる。奥には気持ちのいいパティオが広がり、客はおしゃべりをしたり仕事をしながら、ゆったりとしたカフェタイム過ごしている。

通りの喧騒が嘘のように遠く、静かで心地の良い時間が流れる店だ。

なぜ惹かれるのか

なぜこんなにも、パティオという空間に惹かれるのだろう。

考えるうちに浮かんできたのは、「余白」という言葉だった。

ぎちぎちに詰まった日常のなかに現れる、白紙のページ。深く息を吸って、吐いて、次に向かう前に立ち止まって、自分を整える場所。メキシコのパティオは、わたしにとってそんな「パワースポット」なのかもしれない。

メキシコを訪れる機会があれば、ぜひたくさん寄り道をして、レストランやカフェ、土産物店の入口を覗いてみてほしい。ガイドブックに載った観光地よりも心に残る、あなただけのとっておきのパティオに出会えるように。


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