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溶岩の上に立つ家

泣きたくなるほど素敵な家に出会ったことがあるだろうか。部屋の片隅に差すわずかな光までが美しく、思わず胸がつまってしまうような。

かつての溶岩地帯に立つその家は、わたしにとってまさにそんな場所だった。

メキシコシティの中心部からおよそ15km南へ下り、静かな住宅街に立つ一軒の邸宅前で車を降りる。待ち合わせたガイドとともに、荒々しい表情の石塀をたどり木製の門をくぐった。

カサ・ペドレガル。ここはメキシコの建築家、ルイス・バラガンが生涯建てたなかで最も大きい住宅だ。現役の個人宅でありながら、内部の見学が許されている。バラガンの代名詞ともいえる外壁のメキシカンピンクがまるで匂い立つようで、深く息を吸いこんでから中へと足を踏み入れた。

溶岩地帯の住宅

実はカサ・ペドレガルは、2013年まで「カサ・プリエト(プリエトの家)」と呼ばれていた。この家を語るうえで決して欠かすことのできないその歴史を、少しばかり紹介したい。

ここエル・ペドレガル地区は、約2,500年前にシトレ火山の噴火によって溶岩地帯となった。以来、人が暮らすには不向きな土壌と考えられてきたが、1940年代に入ると変化が訪れる。溶岩が生み出した独特の自然美が芸術家たちの間で話題を呼び、宅地開発計画が立ち上げられたのだ。画家ディエゴ・リベラと共にプロジェクトの中心にいたバラガンは、エル・ペドレガルの街づくりを先頭に立って進めていった。

バラガンは当時まだほとんど住民のいなかったエル・ペドレガルに、友人宅を設計する。1949年に着工し、2年後の1951年に完工した家は、友人の名「プリエト・ロペス」にちなんでカサ・プリエトと呼ばれ、その後およそ60年に渡ってプリエト一家の住まいとなった。

光で遊び、景色を切り取る

当時40代後半だったバラガンは、すでに自分の建築スタイルを確立させていた。カサ・プリエトに見出せるそのこだわりの一つが、計算しつくされた採光である。

手元を照らすランプ以外は一切の人工灯を置かなかった彼は、様々な角度から陽の光を採り入れ、時と共に移ろう家の表情を楽しんでいた。

もう一つバラガンの特徴的なスタイルと言えるのが、直線だ。次の空間へと続く入口を額縁に見立て、先の景色をひとつの絵のように見せると同時に、新しい空間へ足を踏み入れた瞬間の開放感をより一層高めている。

また、外界を遮断した家づくりもバラガンが好んで取った手法である。敷地を囲う背の高い外壁は、内側に静寂をもたらし、そこで暮らす人が視覚的にも聴覚的にも日常の喧騒から逃れることを可能にしている。

表の通りに面した窓は台所に設けられた小窓ただひとつ。来訪者に事前に気づくことができるよう作られたものだという。台所を含め、中庭に面していない廊下や貯蔵室には天窓がつけられ、陽の光が天井灯の代わりに空間を照らしている。

消え失せた「バラガン・スタイル」

プリエトはバラガンと親しい間柄の友人であったが、建築に関する好みは全く異なっていた。彼はカサ・プリエトに暮らした60年のあいだに、数多くのリフォームを行った。

リビングの天井にはたくさんの電球をつけ、淡いグレーだった室内の壁は黄色やピンクなど様々な色に塗った。

また大家族であったプリエトは、子どもたちと余暇を過ごすため、庭にも大胆な変更を加えた。バラガンが設計した当初の家には三つの庭があり、一つ目はリビングに面した芝生の庭、二つ目はプールの横に植物が生い茂った庭、そして三つ目はダイナミックな溶岩をそのままの形で残した庭だった。しかしプリエトは二つ目と三つ目の庭を埋め立て、その上にそれぞれゴルフの練習場とテニスコートを作ったのだ。

こうしてカサ・プリエトは60年という歳月をかけ、バラガンがこだわった当初の姿から大きく変わってしまった。

全財産をかけて家を救い出した人

そんなバラガンの作品を救出し、エル・ペドレガル地区の魅力を取り戻したいと願う人物が現れたのは、2013年だった。

セザル・セルバンテスというその人物は、当時アート・コレクターとして世界中の現代アート作品を収集していたが、そのすべてのコレクションを売却し、売りに出されたカサ・プリエトを購入したのだ。

エル・ペドレガル地区で生まれ育った彼は、歳月とともに個性を失い平凡化していく街を憂い、埋もれつつあったその魅力を取り戻したいと願った。

しかし、修復作業は容易ではなかった。カサ・プリエトを可能な限りバラガンが作った当初の状態に戻したいと考えたセルバンテスは、私財をつぎ込み高い技術を持つ職人たちを集めた。

埋め立てのコンクリート下からは溶岩の庭が掘り起こされ、天井からは電球が撤去された。

カラフルに塗られた壁は元の緑がかった灰色に塗り直された。今も壁に残る正方形の跡は、幾層にも塗り重ねられていたペンキを職人が丁寧に削って見つけ出した、バラガン設計当時のままの壁色である。

約4年の歳月がかけられ、メキシコ建築界史上最も困難な修復作業であったと言われるこの修復作業ののち、カサ・プリエトは「カサ・ペドレガル」と名を変えた。

家も、街も、人も、変わっていく。むしろ変わりゆくことの方が自然で、わたしたちはそれを受け容れながら生きている。プリエト一家が60年の間に自宅にもたらした変化も、彼らの幸せのためには必要で自然なことだったのだろう。

けれど同時に、思うのだ。

「ありがとう」と。
この奇跡のような美しさを取り戻してくれて、ありがとう。今日ここであなたに出会えてよかった。

もう二度と見られないかもしれないその姿を目に焼き付けようと、ぐるりとリビングを見渡す。窓から差す陽のなかで埃が笑うように舞っていた。

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