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私が国際協力に興味を持ったわけ

スオスダイ!国際協力NGO CBBでインターンをしてます、やましたです。

昨晩、7時間のバス旅を経てシェムリアップからプノンペンに帰ってきました。

元気です。

さて、今日はどんなお話をしようか迷っていますが

最近、クラウドファンディングのサイトを眺めながらそれぞれのメンバーの自己紹介文が書いてあり

それがめちゃくちゃかっこいいなーー!!!

って思ってました。

noteの記事も76記事を突破。

とりあえずの目標の100記事を前に、私も自己紹介文がつくりたーーい!

と、思い、昨夜、夜な夜な考えていました。

Who are you?

改めて、自分がなぜカンボジアにいるのか
お話ししたいと思います。

自己紹介

やました

1996年生まれ。山口県出身の23歳。
社会福祉学部卒。

小学6年生の時、下関の友好都市である
中国山東省青島を訪れ、発展する都市部の
傍らで物乞いをする親子に出会い
貧困問題や国際協力に関心を持つ。

高校1年生の時にスタディツアーで訪れた
カンボジアに魅了され
『カンボジアで社会福祉を発展させたい』
という意志のもと、数回足を運ぶ。

カンボジアを想うあまり
就職活動にも身が入らず
2019年4月、大学卒業後に新卒で
国際協力NGO CBBでインターンをはじめる。

現在は、日本語教師をしながら同団体の
スタディーツアー等の引率も行い、
カンボジアの現状を伝える活動をしている。


初海外は中国だった

私のはじめての海外は中国でした。
そして、そこで見たものが、国際協力に興味を持つキッカケになりました。

私の住む下関は、様々な国と姉妹都市、友好都市協定を結んでいます。

そして、その繋がりを若い人にも、ということで同市は市内の小学6年生を対象に『海外派遣研修』を行なっていました。

私が小学6年生の時に、韓国派遣研修か、中国派遣研修か、そのどちらかの募集がありました。

当時の私はある漫画に影響され『海外に行ってみたい!』と、海外に強い憧れを抱いていました。

その漫画が【ちびまる子ちゃん】です。
まるちゃんが、南の島に行き、プサディという女の子と出会い、海外の暮らしや自分の知らない世界を体験していくお話。

私も『自分の知らない世界を知りたい』というところに共感して、この研修への応募を決めました。

そして、2008年11月
派遣団員として中国山東省青島に行きます。

2008年は、北京オリンピックの年。
街全体がオリンピックムードで、急激な発展を遂げていました。

その華やかさと、人の多さと賑やかな雰囲気に
「これが海外かーー!!すごい!!」と興奮したのを覚えています。

ですが、その考えはある出来事により、一瞬で変わりました。

移動のためのマイクロバスで待機していた時です。

開いたバスのドアから、小さな子供を連れたお母さんが入ってきました。

どうやら、大きな声で何かを訴えてきています。

『お願いします。お金をください。お金がないと、この子は飢え死にしてしまいます。お願いです。お願いです』

お母さんの必死な声に、怖くなりました。

というのも、この時はじめて物乞いをする人に出会ったからです。

何かしたい、でも何もできない、旅行客の自分。

お土産を買って、美味しいご飯を食べて、ふかふかのベッドで寝て、観光して。

綺麗な部分だけを見ていて、海外って楽しい。

そう考えていた。

突然目の前に現れた影の部分。
発展の裏に隠されていた人たち。

これが、世界だ

そう悟った、初海外。

帰国後、その出来事がずっと頭の中に残っていた。

社会の授業で、「中国」という単語が出ると
その出来事を思い出して授業中にもかかわらず自然と涙が出てきたりしていた。

そして、ある社会の授業である言葉にであった。

青年海外協力隊

これだ。
これになりたい!!!!!
これになって、外国の人のために何かしたい!

そう思いました。
本当になりたいと思いました。
将来は絶対、海外に行って他者のために働く!

それが、私の夢でした。
そう。ここから、私の長い長い物語がはじまりました。

カンボジアとの出会い

それから月日は経ち、高校生になりました。
高校生1年生の1学期。
私のクラスの掲示板に、あるお知らせが入りました。

【カンボジアスタディツアーに行きませんか?】

まず、ツアーの日程を見ます。
・アンコールワット
・マザーテレサの修道会の孤児院訪問
・村訪問
・教会訪問
・トゥールスレン、キリングフィールド
・障害児のための養護施設
・障害者の職業訓練施設

ただの観光では行けない場所ばかりで
とても魅力的に思いました。

カンボジア。
それまで、カンボジアという国を意識することはありませんでした。

アンコールワットという世界遺産が、この世の中にあるということも知りませんでした。

このツアーに行きたい!
そして、すぐにこのツアーの仲介をしていた、シスターにお話を聞いて、参加したい旨を伝えました。

さて、問題は親がどう思うのか。
カンボジアに高1の娘がいく。

寮に帰り、母に電話で発した一言

『もしもし、私夏休みカンボジアにいくね』

反対されるなんて、そんな心配全くしませんでした。

案の定、反対もされませんでした。

幸いです。

そんなこんなでトントン拍子に話が進み
2012年、初めてのカンボジア渡航。

このツアーは驚きの連続でした。

トンレサップ湖に浮かぶ、水上村に行きました。
子供たちは、カンボジア人ではなくベトナム人でした。
髪の毛は、栄養不足で色が抜けてました。

マザーテレサの修道会の孤児院に行きました。
親から離れざるを得なかった子供は、笑いもせず泣きもせず、小さいのに感情を表に出すことがありませんでした。

田舎の村に行きました。
雨季で道がなかったため、壊れかけた船で川を渡りました。
ポルポト時代、宗教弾圧の中で建物だけ残った古い教会がありました。
銃弾の跡が痛々しく残っていました。

その村で出会ったお兄さんお姉さん、子供たち。

みんなが口を揃えていいました。
『私は勉強が好きだ。もっと勉強して、夢を叶えたい。みんなのためになりたい』

学ぶのは、他者のためだと初めて知りました。

貧しいはずなのに、苦しいはずなのに
でも、それを感じさせないくらい元気に話す
子供たちの姿に感銘を受けました。

その時から、私はカンボジアが持つ不思議な魅力と、カンボジア人の人柄に惹かれました。

いつか、ここに住んでみたい。

高校生ながら、私の未来予想図に
『カンボジアに住む』が追加されました。

再び、三度、四度、そして、インターン

またまた月日は経ち、私は大学生になりました。

将来の夢はコロコロと変わろうとも、やっぱり心の中に居続けたのは『カンボジアの人のために働きたい』という気持ちでした。

大学2年生で、同じツアーに参加しました。
私が高校1年生の時に見たカンボジアとは、だいぶ変わっていました。

発展ってすばらしいな、と思う反面
他の国の言葉や、建物が入ってきている都市部を見て、どこか疑問を感じました。

ここは、どこの国だ。

支援、という言葉でいうのは簡単。
だけど、それがその国の良いところやその国の人の生活を奪っている現状があります。

短期間の旅行で見たカンボジアはそうでした。
それでも、カンボジアは好きでした。

大学4年生の時、卒業論文を書くために、四度目のカンボジア旅をしました。

今までの訪問を通して

『カンボジアは経済的には発展をしているけれども、それは他国からの支援により成り立っているので、いずれかはその支援が終息に向かわなければならない。そのためには、カンボジアの人が男女も健常者も障害者も関係なく、自立を目指すべきである』

そんな自論を持っていました。

だが、その時にあった在住者の方からの言葉は違いました。

『お前の考えは、上から目線だ』
『お前はカンボジアのことを何もわかっていない』
『お前がカンボジアが好きって言ってるのは、旅行客としての好きだ』

正直、悔しかった。
でも、その通りだと思いました。

たった4回の、しかも短期間で、
カンボジアを知った気になって
カンボジアのために支援をしたい、だなんて。
大口叩いて卒論を書いている自分が恥ずかしくなりました。

でも、それは逆に私に火をつけました。

『だったら、住んで、カンボジアという国を身をもって知っていけばいい』

2週間の旅が終わり、帰ってくると周りの人たちが変わっていました。

内定もらった。就職決まった。
国家試験のテキストを買った。
国家試験の模試が何点だった。
卒論何字書いた。

全てにおいて、置いていかれてると感じました。

散々迷いました。
就職してからでもいいんじゃない?
今の何もできない状態で行って何ができる?

『今のお前はカンボジアで出来ることなんかない。』

在住者の方から言われた言葉が、時に呪いのように付きまといます。

だけども、そんなことも気にする間に、夏休みも終わり、後期に入ります。

後期のオリエンテーション。
同級生が内定式と被ったといって、空席が目立ちました。
そこにいる同級生は、みんな真っ黒な髪で、必死に勉強をしています。

その中、就活もせずに、1人だけ金髪に近い髪色でどかっと座っている私。

でもそんなこと、気になりませんでした。
すでに私には別のビジョンが描かれていたから。

2018年、10月。大きな決断をしました。

新卒で、カンボジアに行って
インターンをする

その背中を押してくれたのは、Twitterでのあるやり取りでした。

そのお相手は、今わたしがインターンをしている国際協力NGO CBBの代表のマサさんです。

当時、一大決心をしたものの、実際には行動に移せず、どこでインターンをしよう、とか自分の興味ある分野のインターンはあるのか、悩んでばかりでした。

帰国後、カンボジアの情報を仕入れようと作ったカンボジア専用アカウントでは、毎日うだうだとどうしようどうしよう、と呟いていました。

福祉分野がいい。
児童分野がいい。でも、どこがある?

その時に、一件のDM。

このメッセージがきっかけになり
マサさんに、相談を乗ってもらいました。

どんなNGOがあるのか
カンボジアの孤児院の現状
NGO CBBについて。

そして、その日、ちょうどアクティボでCBBのインターン情報を拝見して、読めば読むほど『教育支援』と『村での生活』に興味を持ちました。

そのあと、めちゃくちゃ長文の熱意のある文章を送ったのを覚えています。

今、新規インターン生の対応などで、他のインターン生のGoogleフォームをのぞくことがあるのですが、やましたが一番長い。

ちょっと恥ずかしくなりますが、この時は必死だったんだと思います。

夢中だったんだと思います。

そして、面談を経て、合格通知をいただきました。

向かう先があれば、そこに向かうのは簡単です。

卒論もすぐに書き終わり、国家試験の勉強も死にものぐるいでやり、合格し、大学を卒業し。

こうしてわたしは、カンボジアへの片道切符を手に、念願のカンボジア生活をスタートさせました。

長い長い物語、ここまで読んでくださってありがとうございます。

こうして、今の私がいます。

これが、やましたという人間です。

今、カンボジアという国でカンボジアの子供たちの将来の選択肢を増やし、素敵な未来を歩んでほしい、という一心で日本語を教えています。

そして、同時にカンボジアに来た日本人にカンボジアの現状を伝えるために、スタディツアーの引率を行なっています。

『カンボジアはいかがでしたか?』

ツアーの方や帰国するインターン生に毎回聞く言葉です。

その言葉を、いつか自分がかけられる日が来るかもしれない。

その時、わたしはどう答えるのか。

その問いに、自信を持って答えられるように
これからも、カンボジアのいろんな面を見ていきたいです。

今日は、私やましたのお話でした。
おそまつさまでした。



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