お客様体質のほんとうの意味
大学院生の頃、わたしは研究室でバイオ研究に従事していた。
その頃のわたしの状態は、なぜだかまるでゲームでHPが減り続ける毒沼に落ちたみたいに、全てがうまくいかなかったのである。
配属されて最初の方のプレゼンで、自分の研究の意義を否定されたように感じたこと。また、大人同士が学生について話しているのを側で聞いて、まるで品定めするようなその態度になんとなく嫌な気持ちになったこと。配属されて間もない時期に遭遇したこれらのことが原因で、だんだん周りに心を閉ざしていった。
"みんなはわたしに無関心で、隙あらば責めようとするだろう。わたしのことめんどくさいと感じているだろう。"
そんな感情が心にどんよりと雲をかけていた。そんな気持ちで過ごしていたら、質問すべきことも満足に質問できず、少ない情報の中で研究は迷走した。人間関係に対するストレスで、みんなでする掃除すらしんどかった。そんな中で自分の取り組み方までを否定されるようになった。
どうして?どうしてうまくいかないの?
これまで優等生で相当成績がよかった自分に問い続けて、ストレスで体重が5キロ減った。
今年会社に入ってみて、周りは優しく、なんでも好きなことを研究してもいいという環境。
しかし、素晴らしい環境にホッとするのもつかのま、なんだか毒沼に落ちそうな気配が漂ったのである。心がどんよりと晴れない。周りは優しいけど手応えなく、わたしに無関心ゆえの優しさなのかも知れないという疑念が頭をもたげてきた。
そんなことを考えてる最近、ふと手に取り読んだのが「ミステリという勿れ」という漫画だ。
主人公のキラッと光る名言が見どころの漫画だが、主人公ではなく、多分重要人物でもない、1人の刑事さんのセリフがわたしには刺さったのだ。
上司にお客様体質と言われ、自立して活躍できないことを悩んでいる後輩に対して彼女はこう言う。
お客様体質っていうのは意味が違うよ。
お客様体質っていうのは、チームとして信頼せずに、頼れないことを指している。
"あっこれのことだったんだ"と思った。
痛いところをプスリとやられた。
お客様体質ってそういうことか。
わたしは大学の研究室でずっとお客様だった。誰のことも信用せず、一歩引いたところにいようとした。他者と一緒に研究を楽しみたいという思いを持ちながらも、研究室のメンバーに対してそれをぶつけなかった。ぶつけても意味がないと思ってしまった。
お客様でいるのは多分きっと、楽だった。お客様でいることを選択したことで、嫌なことに直面せずに済んだことも多かったんだろう。でも、嫌なことも全て背負う気持ちで人と関わろうとしていれば、他者の知恵を得て研究はうまくいったのかも知れない。充実した研究生活だったのかも知れない。そういう気持ちがずっとある。
私の中のお客様体質が、毒沼の正体だったかも知れない。
もちろん、周りを信頼できなくなるきっかけはあったにせよ、"周りは私に無関心だろう"というのは勝手な私の思い込みであり、私はチームとして関わろうとする気持ちすら持たなかった。
気力が落ちている時には信頼できない人たちと関わろうとするのは難しい。しかし、困難な目的を達成したいという思いが強いのならば、チームとして周りを頼ることは必要になってくる。
わたしは新しい職場では、自分の中のお客様体質に対して目を逸らさずに過ごしたい。