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「いま」を、どう美しく生きるか

「お待たせ!」

今朝、冬が本気の寒波をぶつけてきた。

「それじゃ、寒くない?」見送りの妻。
なんのこれしきと出た手前、ブルっても、また引き返すのはしたくない。美学に反する。

橋の上、風がきつい。首に巻くやつ持ってくれば良かった。
こういうとき、氣を発する。あったかくなる。
走った。
駆けた分、いつもより歩数、少ない。

昨夕帰り、堺筋に沿って歩いてた。

前を外国人観光客カップル。
女性は冬服。毛糸帽子とブーツ。男性がタンクトップと短パン、フレディ・マーキュリーか。
各自両手にドラゴンボールの大きなフィギュア下げてる。

そういえば、ああいうの、ちょっと南へ行った店で売ってる。

二人の話す言語がさっぱりわからない。早口だし。
だから国籍不明。アジア圏ではない。
話しかけてみよう。

ところが。

歩くの速い。ぼくも速い方だが、どんどん差がつき、結局インタビューできないまま彼らはホテルに吸い込まれていった。

経済は長く希少性で動いてきた。いまも動いてる。

数が少ないほどエラい

というのが希少性。

謎のタンクトップカップルも、自国にはない希少性を感じたからフィギュアを買ったんだろう。

プライシング(値付け)、レアほど高い。

ゼロの数が多い=レア度高い

ありふれ

はゼロの数少ない。

原稿料だけで生計立てられている日本人文筆家はおそらく村上春樹くらいのものだろう。それだけ原稿料や本の印税は安い。文章がありふれ化したからか。

漱石の原稿料は高かった。あの時代、彼の生み出すコンテンツがレアだったからだろう。

コリイ・ドクトロウ『マジック・キングダムで落ちぶれて』には「ウッフィー(Whuffie)」という通貨が出てくる。ソーシャル・キャピタル、現実の通貨では買いたくても買えない。徹底的に利他的な性質を持つ。つまり、誰か他人のお役に立つ、貢献する、評価される、尊敬を受ける、信頼を得る、感謝される、喜び(JOY)、感動(WOW)、共感・・・いわゆる「徳を積む」とウッフィーが増える。

『共感企業』(日経、2010年)では新しい世界のビジネスをビジネス2.0とし、そこでは共感が基軸通貨になる、と言った。ある意味、そうなってる。

コリイ・ドクトロウとはその後もX(ツイッター)でやりとりしてる。2017年刊行『Walkaway』ではさらに考えを深め、「脱・希少性ユートピア(a post-scarcity utopia)」を舞台にしている。3Dプリンタで欲しいものは何でも製造できるから、「買う」ために働かなくてもいい。そんな社会になったときの「幸せ」とは。

面白いのだけど邦訳されてないようなので、訳すかと思っていたんだけど、来年は別の翻訳オファがあるし、他にも訳したいのが行列してる。だからいつになるかわからない。

ただ、コリイ・ドクトロウが言う「脱・希少性」は、あくまで物体であり、ぼくはそこ重視してない。

人が希少性=レアを好むのは経済だけではない。

「ぼくだけに見せてくれた笑顔」
「チラッと見えた恥じらい、彼可愛い」

なんてのは、非物質。でもレアだから嬉しい。

人間がすべて「脱・希少性」を経済レンズで見るわけではない。

では、今後増えていくであろう「レア」は何かというと、間違いなく、「時間」だ。

モノは確かに、ありふれ化した。

徒歩1分にコンビニがある。スマホでオーダーすればすぐ届く。ごはんならUber Eats、物体ならアマゾン、楽天。

蛇口ひねれば潤沢に水が出るにもかかわらずどこか遠いところで採取された水を届けてもらったりする。

いまのぼくが欲しいのは「時間」。

あ。誤解しないで。「わしゃ不老不死が欲しいんじゃフガフガ」ではない。そんなもん、要らん。いまから5000年生きろ、と言われたらそれこそすごい拷問だ。

「いま」を、どう美しく生きるか。

瞬間としての時間。

いまこのmoment。これを輝くようにしたいんだけど、いつもできてるわけじゃない。

見上げた空に浮かぶ一片の雲。美しい。感じる感性。これを毎秒、持っていたい。

この時期、放っておくと、あっちゅーまに時間が過ぎる。年末。ありがたいことに毎日何かが届く。宅配便ドライバーから受け取るだけでもかなりの時間になる。

そうすると行動がTO DOになってしまう。TO DOは良くない。

行動を自然な流れの中の点にしたい。

わかりにくいね。

たとえば、美容室を予約する。
14時に、場所は〇〇。
するとそこから逆算して、何時に出なきゃ、となる。
これが行動のTO DO化。

美容室できれいにしてもらう、というのは喜びだ。
喜びを受け取るためにTO DOはやむを得ない。

とはいえ、なんとなく歩いてたらいい感じの美容室に出会った。入った。
という「自然な流れの中の点」にしたい。

だからぼくはなるべく「予約」というのをやらない。

新幹線は昨今激混みで、うかうかするとクライアントさんとのアポに遅れるかもしれないので、予約するけど。仕事だから。

行動を自然な流れの中の点にしたい。これがいまのぼくの時間に望む瞬間願望です。けっして希少性ではない。

愛読する山田風太郎の『人間臨終図巻』『あと千回の晩飯』。

読むと、カッコよく死にたいと思う。死に際って、大事だよなあ。

「いま」を、どう美しく生きるか。

瞬間としての時間。

いまこのmoment。輝くようにしたい。

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