もしも僕がいつか君と出会い話し合うなら
サマセット・モーム『月と六ペンス』の何が好きといって、書き出しだ。
この書き出しがずっと残ってる。
「人として」「ほんもの」。いったいどういうことだろうか。自分はそうなれるのか。この本、最初に読んだのが1994年だから、もう30年思ってる。
映画『宇宙人のあいつ』観た。アマゾンプライムビデオにあった。最近、劇場上映からストリーミングに入るまでの期間、短くなったね。助かります。
土星人が、地球人になりすまして、生活する。
ミッションは、土星にない概念を学ぶこと。
土星人にとって、「外側」の偉大さは関係ない。地球限定の偉大さだからね。
土星にはなくて、地球にある概念とは何か。
それは、「家族」「ともだち」。
面白かったのは、「おーい」と後ろから呼びかけられたとき、ぼくたち地球人なら首を後ろに向けて「なに?」or「なあに?」。
土星人にはそれができない。
180度身体を後ろにターンする。
つまり、「家族」「ともだち」という概念がないことによって、後ろから気軽に呼びかける・呼びかけられる、という挨拶の行為が存在しないわけだ。だからそれに対応するモーションも、存在しない。
実はぼくにとって、この人生のテーマが「家族」「ともだち」。
「人として」「ほんもの」になるためには、乗り越えなければならないんだろうなあ、と思ってる。
ただ、どうにも、苦手。苦手なことって、テーマなんだね。やだなあ。
映画では、ブルーハーツの『リンダリンダ』が重要なモチーフになる。
会社辞めて、独立起業するにあたり、旅に出た。ニューヨークへ。子どもと会えなかった。以来、10年以上。物理的距離も、心の距離も、離れた。
そんなとき、この曲と出会った。
バンドでも、カバーした。ぼくはボーカルしてた。
歌詞
泣けて、歌えなかった。
もしも僕がいつか君と出会い話し合うなら
そんな時が来るのだろうか。
そんな時はどうか愛の意味を知ってください
というけど、それはそもそも自分(僕)が知らないんだよ。
愛って何なのか。
自分が知らないことを、子どもに「知ってください」なんて、言えるのか?
言えないよ。
うわー。
映画『宇宙人のあいつ』、家族という概念をテーマにするとき、この曲、出すか? 持ってくるか?
泣ける。泣いた。泣いた。泣いた。ないた。
映画最後まで観たけど、残ってるのは、『リンダリンダ』。
この映画、作った人、すごい。
いまのぼくに、的、ズキュン。
今はもう旅終えて帰ってるから、この10年以上子どもとは一緒に暮らしてるし、話もする。成人してる。気遣ってくれる。
でもね。
は、たぶん、このあと、まだずっとぼくの中に残っているフレーズだと思う。
それだけ、色、ついてる。ぬぐえないくらい、あつく。
「人として」「ほんもの」。まだまだ修行の身です。
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