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「ご破算で願いましては」ゼロ時代

ムッシュー・プルニエは新鮮な魚が自慢の魚屋。ところがパリ市民は、においを嫌って魚料理を好まない。そこで彼は自分の店の隣にレストランを開き、香辛料や酒を使って美味しく調理、やがて彼の魚料理はパリで大評判、「プルニエ」が魚料理の代名詞になった。その店で修行した田中徳三郎は後にホテル・リッツでも学んだ。リッツとプルニエの差はバター使用量の差であり、リッツはプルニエの3倍使ってる。このノウハウを持ち帰った。東京會舘レストラン「プルニエ」のストーリーだ。

小学校低学年の頃、そろばんを習ってた。計算を始めるとき、先生が「ごわさんで願いましては〜」と呼びかける。「ごわさん」とは「ご破算」と書き、計算を始める合図だ。電卓ならオールクリア、ACボタンを押すかんじ。

コロナちゃんで、すべてのビジネスが「ご破算で願いましては」となった。「昨日のつづき」で出来ているようなビジネスでも、根っこの部分ではすべて「ご破算で願いましては」。

大阪・北新地南東角にあったスーパーfoodium堂島が閉店する。10年前オープンを報じるレポートは熱いものだった。

しかし、コロナちゃんで北新地の社会的役割は止めを刺された。コロナ前から北新地はゆっくり傾き始めてた。なぜ知っているかというと、昔から知ってる土地だからである。妻の実家も北新地にあった(誰かが勤めてたというわけではない)。

商売で大事なのは「お金の出どころ」だ。お金の出どころを具体化すると、「財布を誰が持っているか」と「財布の中身はどれくらい入っているか」。

北新地で遊ぶための財布、以前は企業と自営業の交際費だった。時の流れで、企業交際費がなくなった。自営業はまだいるが、コロナちゃんで波をかぶった。それでも羽振りのいい自営業、いるにはいる。でも彼らはキタではなく、ミナミへ行く。現時点、本当は「あかん」ことなんだけど、深夜0時以降、そういう人たちがキャバクラで遊んでいるのはミナミだ。キタではない。

財布の中身も、増えることはない。減る一方である。となると、北新地はこれまでのようにきれいなおねえさんを必要としていない。foodium堂島が狙っていた「お金の出どころ」が消えることになる。新地のおねえさんたちが出勤前、出勤後に立ち寄って買い物する場所だった。おねえさんたちをお金の出どころとしていた他の商売、花屋、衣装屋、美容室・・・すべて、「ご破算で願いましては」になった。

北新地やfoodium堂島のような「お金の出どころの消失」はいま、日本のあちこちで起こっている。職というものがどんどん消えている。だから学生アルバイトの職もなくなりつつある。

職業そのものが「ご破算で願いましては」となっているのである。やがてこれは学歴社会にも影響を及ぼすし、当然ながら受験産業も「ご破算で願いましては」になる。

どうするか。

ここでムッシュー・プルニエの話を思い出そう。彼はゼロから生み出した。「パリ市民に魚を食べさせる」アイデア。始める前に周囲の誰かへ「どう思う?」と聞いたら10人中10人が「それはやめといたほうがいい」と言ったはずだ。だからこそ、インパクトが生まれた。

つづき、延長の時代に強いのは、大きなところだ。経営資源・・・ヒト・モノ・カネ・コネ・・・が潤沢にあるところ。しかしながら、「ご破算で願いましては」というゼロの時代に強いのは、「どこにもないストーリー」「実現してみせるという熱い思い」だ。これならお金もかからないし、誰でも、今日すぐに始められる。

そう、「ご破算で願いましては」ゼロ時代は、チャンスの窓があちこちに開いている、理想の時代。楽しみましょう!

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2月4日のパキ天。それが今朝は

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パキ天も、ゼロから始めて実らせた。勇気もらえます。

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