白いカーデイガン
毎度バカバカしいお話で失礼致します。
いまからおよそ40年前、1980年あたりの日本、まだのんびりしたものでした。その頃のお話です。
妻の実家は4階建て鉄筋コンクリート造の商家。
ひとの出入り多く、そもそも「誰がいるのかわからない」「誰がいても不思議ではない」状態の家で育った。
だからマンションの「ドア一つ」、「鍵一つ」というセキュリテイに、いたく憧れていた。
結婚当初は、感激の面持ちだった。
だって、あの実家、昼間にこっそり忍び込み、どこかに隠れていても、全然わからない構造、不用心極まりない。
友人大金持ちKさんの実家は、やっぱり大金持ちで、最寄り駅の真ん前に、広くひろ〜く門が広がっている。
駅の改札を出たひとが、知らなければ、そのまま門の中に入ってしまいそうなほど。
今日はそのKさんの実家で起こったお話。
その広いひろい門と連なる塀の脇に「お勝手口」がある。「サザエさん」なら、三郎さんがご用聞きにくるところ。
この家も、ひとの出入りが多い家であった。
そもそもこの家には、「セキュリテイ」という概念が、ない。
おかみさん(Kさんの母ね)が大らかな方で、勝手口に鍵をかけない。
あるとき、ご近所を荒し回る泥棒がいて、警察来た。
「いいえ、家(タク)は何も被害はございません」
後日警察が、泥棒の盗品の中にあったといって玄関脇に置いてあったゴルフのキャデイバッグを持ってきてくれて、赤恥かいた。そういう家。
家族構成は、Kさんのご両親、Kさんの兄夫婦、そしてKさんの5人。
ところが、普段から「誰かの知り合いやろ」てなもので、他に誰か2〜3人は、常時家の中にいた。
ある日の昼下がり、お母さんが、「私のサファイアの指輪が、ない」と言い始めた。
「あんた、知らん?」「あんた、見てへん?」
家族の誰も、知らない。まあ、そりゃ、そうだろう。サファイアの指輪なんていうものは、誰も気にしない。
お母さん、家のあちこちを探しているうち、どうも家の中の様子がおかしいことに気付いた。
きれい、なのである。片付いているのだ。
これははっきりと「自分がやったことではない」と言えることであるが、洗濯物はきちんとシワを伸ばして干されている。
「そもそも、私、そこまできちんと、せえへんから」。
兄嫁に聞いた。
「あんた、してくれたん?」
兄嫁「いいえ。わたし、してません」
Kさんに聞いた。
「あんた、したん? これ」
Kさん「するかいな」
兄嫁「そういえば、さっき、誰か、いたような、気がする」
母 「家の中やで?」
兄嫁「うん」
この、「そういえば家に誰かいたような気がする」というフレーズ、この家ならではのものである。
みんなで家の中を探したが、誰もいない。家の前の駅に出た。白いカーデイガンを着て、うろうろしているおっさんがいた。
兄嫁「あのひとや。あのひとが、いたんや」。
母親がそのおっさんに、声をかけた。
「あのー。すみません。そこの家のもンですけど、ひょっとして、留守中に寄ってくれはったんちがいます? せっかく寄ってくれはったのに申し訳なくて」
男「はい。お邪魔してました」
母「そうですか。それはえらいすんませんでした。まあまあ、お茶でもさしあげますさかいに、もういっぺん、あがってください」
男「わかりました」
<茶の間で>
母「それはそうと、家の中、きれいにしてくれはったん、ちがいます?」
男「しました。ぼく、きちんとしてないと、気持ち悪いんですわ」
母「まあまあそれは、えらい気ィつこうてもろて。洗濯もしてくれはったんですわね」
男「はい。ぼく、きれい好きなんです」
母「有難うございます。サファイアの指輪、どっかで見はりませんでした?」
男「見ました。あんな物騒なとこに置いてはったらいかんと思うて、きちんと、ほら、ここにしまってあります」
白いカーデイガンのおっさんは、さっと立ち上がり、お母さんの部屋の洗面台上、テイッシュにくるんだものを示した。そこには、確かにサファイアの指輪があった。
家族総出で男を駅まで送り、そこからが信じられないのだが、「一件落着」とばかり一家全員、「焼肉でもいこか」と、出かけてしまった。
焼肉で家族だんらんを過ごし、上機嫌で帰宅したみんなを門前で待っていたのは、警察官とさっきの白いカーデイガンの男。
聞けば「そういう病気」の人で、なかなか帰ってこないのを奥さんが心配し警察に届け、駅前をうろうろしているところを見つかったのだという。
警官「この男が言うには、お宅にお邪魔したとのことですので、何か被害がなかったかと思いまして」
Kさんの母「それはそれはすみませんねえ。被害は何もございませんのよ」
警官「このカーデイガン、お宅のものを着ていると言い張るのですが」
Kさん、そう言われてあらためて男が着ているカーデイガンをよく見たら、
「あれ? 私のカーデイガンやった」
男「ぼく、洗濯するとき、自分の服が汚れるの、いややったから、お借りしましてん」