胸をはりましょう
風呂の牢名主(ろうなぬし)がガン飛ばしてくる。
何かイチャモンつけたい風だが知ったことか。
オレはシャワー浴びるんだ・・・あれ? 今気づいたけど服着てる。長袖シャツの袖口ボタンまでちゃんとして。まあ、いいか。オレはそういう流儀なんだ。
シャワー、ちょろっとしか出ない。なんでだ。こんなんじゃ、話にならん。
あれこれやってると、周囲の空気が変わった。
「ボスが到着しました」
オレの中で「ボス」といえば、えーちゃん(矢沢永吉)しかいない。
顔を上げると、本人がいた。
シャワー、どうぞ。目が覚めた。
思えば、今日の夢はずっとお風呂関係だった。寒かったようだ。
半袖Tシャツでは寒いことがわかった。
メールチェックしたら、週末の矢沢永吉ライブ・チケット発券されたとのこと。夢はこれとつながってたのか。
どれどれ、吾輩の席は・・・
端っこやないかいっ! まあでも、アリーナはファンクラブか。BE:FIRSTで行くからいいか。というか、端っこならトイレ簡単に行けるし、イヤなら座ってられるし。よろしい。
話は変わる。いや。変わらない。
社会問題の解決について。
えーちゃん(矢沢永吉)は、同じ時間と空間を共有し、歌ってくれる、それだけで、ぼくの社会問題を解決してくれます。ありがとう。
・・・という話をします。
「社会問題の解決」というと、とても聞こえが良い。ある勉強会では「社会問題の解決」を目指す人が多く、その熱量はハンパなく高いそうだ。会員数が全国で千人というから人気ぶりがわかる。
ではなぜ、「社会問題の解決」に取り組もうとする(取り組んでいる、ではない。あくまでこれから取り組もうとする)人の熱量が高いか。
距離が遠いから。
自分との。
たとえばぼくの商いが、そうね、この耳かきを売っているとしましょう。
一本でも多く売りたい。売上が生活に直結しているから。子どもの学費も稼がなあかん。
ところが「社会問題の解決」というのは、商品は「社会の不の解決」だ。
「これこれの問題について、解決したほうがいいですか?」
と質問されれば、十人中十人が「イエス」と答えるだろう。
しかし、「いつまでに解決されなければならないのか」という「納期」はたいていの場合、あいまい。
そして、今日解決されなくても、正直なところ、困らない。
日常は続くよどこまでも。
この、「距離」について、当然、みんな薄々感じてる。
だからこそ、熱くなる。熱くならないと、自分に点火できないから。
耳かきは今日何本売れたか、生活に直結する。
社会問題の解決と生活との距離は、遠い。
これはぼく自身、NPOを一年やって、痛感している。自分自身やメンバーの点火が何より大変で、困難なのだ。距離あるから。
そうすると自然、「やる必要のあること」ではなく、「できること・やらねばならないこと」に手を付ける。たとえば、「まずはNPOを立ち上げねば」といった風に。そうなると、目標が「NPOの立ち上げ」になってしまう。あくまで手段なのに。そしてNPOの立ち上げって、大変なのだ。簡単じゃない。馬に食わせるほどの書類作成、役所との往復、ひょうたんからコマ、無人島のディーバ。
そうこうしているうち、「やってる感」が生まれる。
熱量高い人たちが集まると、それだけで一種の宗教的空気、簡単に洗脳される。一体感まで。参加者の一人、「わたし、〇〇(地名)でたこ焼き屋やってるんですが、何か社会問題の解決につながること、やらなきゃいけないと気づきました」顔が輝いてる。ほっぺた赤い。
そうじゃない。
あなたのたこ焼きが売れて、店のそろばんが立ってるということは、それだけで社会問題の解決になってます。
「美味しいたこ焼き」それがそのまま社会問題の解決。
むしろ、何か別のことを始めると、ぼくのいうところの「も」になる。
たとえば;
コーヒーの美味しさで人気になったカフェが、「客単価上げるためにランチも始めよう」「何がいい?」「カレー、良くね?」「いいね」
と、カレー「も」始める。
店が傾くのはこういう、「も」を始めたときだ。
カレーのにおいでコーヒーの香りが消される。カレーはカレーで、専門店が日夜腕磨いてる。そうやすやすと看板メニューにはならない。
コーヒーの美味しさで来ていた客が、離れていく。
このカフェは、「美味しいコーヒーを楽しめる」ということで、社会問題の解決していた。
「美味しいカレーをランチに食べられる」も加えると、解決が二つになる。難易度を自分で高めた。
そう、「店を成り立たせる」だけで、雇用を生み出し、消費税を生み出し、客の笑顔を生み出して、社会問題解決しているのだ。
人通りがすごく多い商店街に焼き芋ショップを出した。人が多いから繁盛する、げんに先に出した浅草は超人気、行列絶えない。期待大。
結果。
閉店。
人通りの多い道は生活道路と呼ばれるもので、そのエリアで生活している人が歩いてる。
焼き芋スイーツは毎日の生活で必要なものではなく、「ちょっとしたお出かけで食べ歩きしたい」商品だ。
「食べ歩き」は解決するが、
「生活」は解決しない。
つまり、この店の敗因は、商店街を歩く生活者の社会問題の解決ができなかったことにある。
これくらい、商いというのは難しい。
あなたがいま、お店でも、ものづくりでも、なんでもいい、何かの商売を立たせているとすれば、それだけで、いや、それこそが、社会問題の解決に貢献しているということです。
胸をはりましょう。
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