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幸せ音痴

「幸せ音痴」な人がいる。

「幸せ」というとたとえば宝くじが当たるとか、収入が倍になる、とか、結局お金が増えることにすぐ結びつけがちなのも、幸せ音痴に共通している。音痴な人は、お金が増えたからといって、幸せにはなれない。お金って、自分じゃないから。外側だから。幸せは、内側の「感性=幸せセンサー」の担当だ。

要するに感性を鋭くしていれば、幸せ音痴ではなくなる。何事も、その道を極めると、マイクロの世界で「違い」を感じられるようになる。

たとえば料理人なら、野菜をひと目見ただけで鮮度や味わいが見えるように。

ぼくはいま、ドラッカーの第三章翻訳を済ませ、23,127語ある文章推敲している最中なのだけど、第一稿は英語に影響されている。なので、しばらく寝かせた後、「日本語」として読んでみる。すると、つっかえたり、おかしなニュアンスになってたりの部分が匂ってくる。この「匂う」感覚は、22年間プロとして文章を売ってきたからこそ身についた感覚の鋭敏さだ。

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幸せを感じるセンサーもこれと同じで、小さなことに喜びを感じることを繰り返していると、磨くことができるんじゃないかな。

会社に着いて、窓を開けると、空がもう秋。この雲で、幸せを感じた。雲はただ浮かんでいるだけで、幸せセンサーはぼくの中にある。

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植物たちが元気、見ているだけで、幸せ。奥に立てかけてあるヨガマットで今日もトレーニングできる幸せ。いずれの場合も、幸せセンサーはぼくの「内側」にある。

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だからといって、「足るを知る」という話ではない。老子先生も「知足」を何度か言っておられるし(老子44章、46章)、禅の世界でも繰り返し「足るを知ろう」と呼びかけているみたい。水戸黄門様で有名な水戸光圀公が龍安寺に寄進したと伝えられたこんなのもある。吾唯知足。

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そうですか。どうぞ足りていてください。阪本は足りない。満足しない。昨日も書いたように「これが当たり前」「これでいい」と思った瞬間、下り電車に乗る。

ぼくはいつもいつまでも
「Get no satisfaction!」
と叫んでいたい。

言の葉を新しく編み出し、次々と楽しく面白いことをやっていたい。

お金? もちろん増やすよ。増やして、使う。それが大人の使命だから。でも、幸せ音痴じゃない。小さなことに幸せを感じるセンサーは持ってる。

人生、まだ、これからだ。

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