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魔法が可能になるのは、自分を信じ切ったとき
映画『2分の1の魔法』(ピクサー&ディズニー)
原題はOnward
「先へ」
という意味。邦題のほうがぴったりくる。
やんちゃなお兄ちゃんと気弱な弟。この二人は互いにShadow(シャドー/影)だ。
2分の1というのはこの意味も含んでいる。
ある目的達成のために旅に出かけるが、大切なのは目的達成ではなく、その過程。
旅路の味わい。まるで人生だね。
映画館で予告編を観たときにはつまらなそうだから観なかったのだけど、
昨日何観るかなあとディズニー+をパラパラやってたら現れ、そういうときはシンクロニシティがはたらくときだから素直に観てみた。
大当たり
なんかね、ちょっと自分への自信が弱まっていたときだったんすよ。
力もらった。パワーもらった。
ぼくもちから、持ってる。
特に好きな場面は、崖を超えるところ。
魔法で見えない橋を作る。
一歩踏み出すごとに、靴の裏に橋=踏み台ができる。
魔法が可能になるのは
自分を信じ切ったとき
そしてほんらい、誰にもその力がある。
自分を信じ切る。ちから、湧いてくる。
映画冒頭のナレーション
昔むかしは
ワクワク
ドキドキ
にあふれていた。
みんな、魔法が使えた。
空を飛べたし、思いのまま火を点火したり、雷ビームを放ったりできた。
それが、文明化で電灯ができ、暖炉ができ、生活に「便利」が増えた。
便利が増えるのと比例して、魔法のちからが弱まっていった。
やがて魔法は消えた。
まるで現代のぼくたちだ。
街をスクーターみたいなのでスーッと走ってる。あれ、突然後ろから来たりしてびっくりする。そのたび、思う。「歩けよ」(笑)
たいてい 「歩いたほうが健康のために良いでしょ」という体格の人が乗ってる。
SNSは便利だけれど、ぼくたちはSNSにこき使われているともいえる。
YouTubeにせよインスタにせよ、Xにせよ、投稿があってはじめて成立するコンテンツであり、つまりぼくたちはそれらのSNSプラットフォームのために労働を提供しているのだ。
ぼくたちの中にもともと備わっているちから
それを解放してあげる必要があるんじゃないかな。
だから、電磁波とはしばらくお別れする時間を一日の中で設ける。
ぼくは寝室にスマホ置かない。
朝起きて最初にするのはベッドに座って呼吸法。
瞑想も兼ねてる。
魔法は誰でも使える。
自分を心底信じ切ったとき、ちからが湧いてくる。