見出し画像

価格とは、「ほしー!」「どうぞ」の関係性を数値化したもの

コロナになって、ネットショップが順風だ。忙しい。でも、それも「期間限定」だと思います。それは「もうすぐコロナが明けて、リアル店舗で買い物するようになるから」という「元戻り」が理由ではない。ではなぜかというと、ネットの本質にある。ネットの本質は、「遠くに届けられる」ではなく、「価格が広まる」だ。「値ごろ感」がユニバーサルになった。マクドナルドのハッピーセットがリオ・デ・ジャネイロでも上海でもダナンでも神戸でもおよそ500円になったように、価格差が地球から消えた。これは人件費の差が消えたのとメダルの表裏である。

90年代のグローバリゼーションは、簡単に言うと、「一番安い場所で作って、一番高く売れる場所に売る」だった。日本企業は渡り鳥のように、今日は中国、明日はバングラデシュと、生産拠点を引っ越した。結果、何が残ったか。何も残ってない。「失われた90年代」と言われるように、何も。97年のアジア通貨危機を経て、インドシナ半島各地に工場が増え、雇用は増えたかもしれないが、結果として、地表に残ったのは、「価格差がなくなった世界」だ。

「働いてもはたらいても、賃金がさっぱり上がらない」世界になった。

話を「価格が広まる」に戻そう。ここにペンがあります。

画像1

ぼくはこのペンを愛用してるから調べることはないけれど、話を進めるために知らないとしよう。
Googleレンズで検索した。

画像2

すると価格がどん、と出る。間違ってもこれを1万円で売ることはできない。ネットの本質「価格が広まる」とはこういうことを指してる。

つまり、プライシングがネットの手に渡り、自分で好きな価格をつけられないのだ。いまぼくが一所懸命がんばって新しくペンを開発し製造したとしよう。それでも一本せいぜい100円か200円、ツッパって500円がいいところだろう。

商いで大切なのは「プライシングは手放してはいけない」。なぜなら、商いとは、社会のニーズとあなたの関係を形にしたものだから。ニーズを満たす商品をあなたが提供できる。それが商い。「ほしー!」に「はい、どうぞ」する。価格とは、「ほしー!」「どうぞ」の関係性を数値化したものなのである。つまり、商いの芯。その芯を、手放して良いわけがない。「ほしー!」「どうぞ」に多様な視点があればあるほど、楽しくなる。商いは視点とも言える。硬直化した、たった1つの視点しかないと楽しくない。「価格が広まる」と逆に視点が「狭まる」

前述のように、ネットが広まったということは、「プライシングを手放す」ことであり、商いの本来の姿からは遠くなる。

プライシングを手放したネットショップという商いが制限つきであることは、以上が論拠だ。

では、どうするか。

変化が常態、予測できない今こそ、チャンスの窓があちこちに開いている。「ほしー!」をキャッチし、満たす。それは小さいかもしれない。「スケール」しないかもしれない。でも、「何が起きるかわからない未来の最前線にいるワクワク」こそが、商いの醍醐味であり、それを数値化するプライシングは、楽しいよ。商いにもっと喜び、感動、愛、楽しさを。

画像3

今朝のパキ天。スクスクという音が聞こえたよ。
ありがとう!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?