このあと、何が起きるかわからない。
このあと、何が起きるかわからない。
それは誰も知らない。
だから、赤ずきんちゃんが旅の途中で死体と出会ったとしても不思議ではない。
コメディエンヌとしての実力を見せつける橋本環奈。彼女は本当に上手い。つられて新木優子も上手く見える。山本美月はやはりヘタだった(笑)
この映画の赤ずきんちゃんは名探偵ぶりを発揮する。そのあまり、「赤ずきん先生」と呼ばれるほど。ここの遊び心が最高でした。
この映画は、起承転結、わかるんだよね。意外な犯人というのも、ちゃんと用意されていて、「うん。納得します」というやつ。
ぼくたちはそういうのに慣れっこになってしまっている。
だから『君たちはどう生きるか』を観て、「わけがわからん!」と怒りだすおじさんが続出することになる。知人のおじさんがフェイスブックでボロクソに言ってておかしかった。著書も出してて、普段の投稿は、「自分がいかに知性に溢れているか」をドヤリングするものなのに。
映画『アステロイド・シティ』。
トム・ハンクスが出てるというので、監督やら共演者やら土地勘無い人たちばかりだったのだが、観ることにした。
中規模のシアター、満席だった。いやー。これほどお客さんが埋まってるのは久しぶり。
観終わって、思わずフェイスブックに投稿してしまった。
ほんと、寝落ちした。わからない。さっぱりわからない。
映像は美しいんです。
1950年代アメリカ。ぼくも好きな時代だ。
物語の構造が3重になってる。映像として観客の観ているのが実は舞台でやろうとしている演劇で(平面的な映像はそれを意図してのことだろう)、その準備の舞台裏がモノクロで描かれる。そしてそれら全体をテレビが追っている、という。
これだけでもややこしいのだが、セリフがめちゃくちゃ多い。セリフは英語だ。英語なのだが、ぼくたち日本人にはなかなかシェアできない当時のアメリカの時代背景ネタがふんだんに散りばめられている。文化的な知識がないと笑えないギャグも入ってる。
たとえば、日本の高度経済成長期を描いたドラマで、「ゲバゲバ、ピー」というギャグを使ったとする。
いまの若い日本人にも理解不能だろうが、アメリカ人やヨーロッパ人にはとうてい無理だ。
そんなネタが盛りだくさん入ってるものだから、さらにわからない。
これは映画『バービー』も同じくで、文化的知識がないと理解できないし、本当の意味で笑えない。日本人に受けなかった理由だ。
わからなかったなあ、と、帰宅してからネットでいろいろ調べた。
監督のことやら、感想書いてる人のブログやら、レビューやら読んだ。
そのうち、気づいた。
これは、「理解する映画じゃない」と。監督はそんなもの、ハナから期待してない。
「次に何が起きるかわかろうとする」ために、いろんなツールを人間は発明してきた。
「わかる」ことにものすごくエネルギーを費やした。だから映画の舞台となった1955年と比較して、ぼくたちはとても「わかりやすい」環境にいる。
検索してもいいし、ChatGPTに聞いてもいい。たちどころに何か、わかる。
でも、ほんとうか?
左脳の働きだけで、世界は理解できるのか?
映画の中の人々は、宇宙人、米ソの冷戦、核実験など「わからない」ことだらけに囲まれている。
だけど、それは現在のぼくたちも同じで、いくらネットが発達したりAIが賢くなったり、それらを使うのにコストが安くなったとしても、決して「わかることを増やしてはいない」。
コロナを始めとする感染病、自然災害、戦争・・・わからないことだらけだ。
「わかったこと」「わかること」だけを善とするのではなく、右脳も含めて「感じる」。
感じることこそ、人間が最も大事にしなきゃいけないんじゃないの?
この映画のメッセージは、これだったんだ。
このあと、何が起きるかわからない。
それは誰も知らない。
だから、赤ずきんちゃんが旅の途中で死体と出会ったとしても不思議ではない。