平凡も積もれば個性となる
ぼくはいわゆる「ゆとり世代」だが、ぼくの知らないところでゆとり教育は終わりをむかえていた。気がついたときにはもう世の中は「脱ゆとり」に舵を切っていて、残されたのは不名誉な「ゆとり世代」という烙印だけだった。はっきり言って、いい迷惑である。そもそもぼくは、時代を一括りにして名前をつけ、なにか理解したような気分になるのは好まない。
ぼく個人の感情としては、すべてをゆとり教育のせいにしたくないというのはある。別に子どもは24時間学校にいるわけではない。学校の外でもぼくに影響を与え