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『グロービスMBAキーワード 図解 基本ビジネス思考法45』とトリニータの話

『アウトプット大全』を読んだことで「思考法」に対して、特にビジネスで活かせるものに対して興味が出てきたので、題名からしてドンピシャの本書を読むことにした。


「グロービスMBAキーワード 図解 基本ビジネス思考法45」

 題名がB’zの「愛のままにわがままに 僕は君だけを傷つけない」くらい長い。岩崎夏海「もし高校野球のマネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」並に長い。

 内容については、題名そのまま。ビジネスにおいて使える思考法が図解とともに掲載されている。帯に書いてある文言をそのまま引用すると、本書はアウトプットを最大化する「考える武器」を集約している。

 特徴としては、単に思考法の紹介だけで終わらず、その思考法を事例に落としこんで確認しているところだ。この「事例で確認」の部分がおもしろい。サッカーやユニクロ、QBハウス、ポストイットなど知っている事例が次々出てくる。思考法そのものは他のビジネス書でも紹介されているものだから感動はないが、個々の事例に関しては、知らなかった事実も多く、ぺたぺたと付箋を貼っていった(昔から、おもしろかった部分には付箋を貼っていく習慣がある)。

 というわけで以下で、ぼくが読んでいて付箋を貼った箇所を、自分の感想も交えながら紹介していこうと思う。


アナロジー思考

 似たエッセンスを持つ事例からヒントを得、それを問題解決や他のメンバーへの説明に活かす思考方法のこと。

 人間は何かを考える時、過去の経験や知識を参考にする。したがって思考するうえではアナロジー(類比)、言いかえるなら「たとえ」や「比喩」が有効に作用する。わかりやすい例でいくと、飛行機は鳥の形状を参考に作られている。もし鳥が存在しなかったとしたら、人間が現在の飛行機の形に辿りつくまで、もっと時間がかかったはずだ。

 また本書では事例として、インクジェットプリンターが挙げられている。自分が使っているプリンターもそうで、よく目詰まりして、そのたびヘッドクリーニングをしている。このヘッドクリーニングという手法は、本書によれば人間の目の、涙で潤して乾燥を防ぐメカニズムにヒントを得て開発されたという。

 別の事例として、サイクロン掃除機も紹介されている。サイクロン掃除機で注目されるのは吸引力が落ちないサイクロン構造そのものであることが多い。ところが本書で注目しているのはそこではなく、吸引したゴミを圧縮する箇所で、ネコ科の動物の舌の構造を模倣したトゲ状突起を多数設け、ゴミが再膨張しない形をとっているのだという。

 ほかにも、くっつくと離れないオナモミの実の形状からマジックテープが生まれた例や、正六角形が並んだ蜂の巣の「ハニカム(honey comb)構造」が強度の高さから輸送機器や建築材料に応用されている例も挙げることができるだろう。

 ただし、アナロジーが適切かどうかには注意が必要だ。不適切にも関わらず理解したような気分にさせてしまうだけの力が、アナロジーにはある。不適切なものとして本書では「国債を家計に例える例」について書いてある。ニュースなんかで「国債を家計に例えると、1人当たり○○万円の借金」などと言われるが、国債は、当然ながら国の借金であり、個人の借金ではない。国債を買っているのは、多くが国内の銀行で、その資産は結局のところ国民の預金であるという実態を反映したとき、単に個人の借金にたとえるのは無理があると。このように不適切なアナロジーもあるので、思考する場合には適切なアナロジーかどうかには十分注意を払うべきである。


ゼロベース思考

 既存の前提や常識にとらわれず、物事を白紙の状態から検討すること。常識には効用もあるが、ことビジネスの場面においては、創造的なアイデアを妨げる要因となることがある。

 たとえばQBハウスが登場するまで、多くの人にとって理髪店はカットをして髪を洗って髭を剃ってもらうところ、という常識があった。しかしQBハウスは常識にとらわれず、カットだけに絞り込むことで1000円カット(当時)を実現し、急拡大した(ぼくも一時期お世話になっていた。値段というよりとにかく早いのがよくて)。

 ほかにも、ミツカンが出した「におわない納豆」や、お坊さんを派遣してもらう「お坊さん便」なども、常識を打ち破った例として紹介されている。

 どうも「ゼロベース思考」と言うと大仰なことのように聞こえてしまうが、「子ども心に戻る」ことや「新参者の視点で物事を見る」ことの重要性は、わざわざ力説するまでもなく理解できると思う。「そういうものだ」で済ましていたことを根本から疑い、「Why?」と問いかけ掘り下げていくことで見えるものがある。トヨタ自動車には、「なぜ」を5回繰り返せ、という有名な言い慣わしがあるらしい。「なぜ」を5回繰り返し根源的な原因(トヨタの言葉でいうところの「真因」)を突きとめろという趣旨で、トヨタ式生産システムの生みの親としても著名な大野耐一氏が残した言葉とされている。いつも「なぜなぜなぜなぜなぜ」と言っていたら物事がひとつも前に進まず会社をクビになってしまいそうだが、それぐらい物事を徹底して根源から考えることが大事ということだろう。


シーズ思考

 シーズ、とカタカナで書くとなんのこっちゃよく分からない。ピザの上でとろけてそうな感じすらある。

 英語で書いたらSeeds、要するにのことで、自社が持つ独自の技術や設備、ノウハウなどを指す。シーズ思考は現在の「自社の強み」をビジネスにいかに結びつけていくかを考える思考法と言える。

 シーズ思考と対比されるのがニーズ思考で、こちらは顧客が求めているもの、つまりニーズから考えていく方法だ。シーズ思考とは思考のベクトルが異なるが、相容れないものではなく、おたがいを使い分けたり補完させたりしながら用いることが可能である。

 どれだけニーズを捉えることができても、現実的に自社にそれを実現できるだけの設備やノウハウ、資金がなければニーズを満たすことはできないし、逆にどれだけ有望な設備やノウハウ、資金があったとしても、最終的には顧客のニーズを満たさないと受け入れられない。つまりシーズとニーズはうまく結びつける必要があるのだ。

 シーズ思考から産まれ大ヒットした製品の例として、「ポスト・イット」が紹介されている。ぼくもめちゃくちゃお世話になっている。もともとはこの付箋、開発途中で発生する出来損ないの接着力の弱い糊を何とか事業化できないか考え生まれた製品らしい。用途をひらめいたのは、たまたま教会で聖書から栞が落ちるのを見たからだと言われている。シーズとニーズをうまく結びるつけることで大ヒットが生まれた例だ。

 急に自分の話になるが、ぼくはサッカーが好きだ。大分県出身というのもあり、大分トリニータのサポーターをやっている。ぼくの人生はトリニータとともにあると言っても過言ではない。

 これは昨年(2019年)の浦和レッズ戦の写真。雨の金曜日に、仕事帰り埼玉スタジアムに駆けつけ、後半アディショナルタイム、後藤優介が頭で決勝点をぶち込んだときは喉がちぎれるほど叫んだ。そばにいた知らないおじさんとハイタッチをした。おじさん、ちょっと泣いていた。雨粒だったのかもしれない。 

 なんで急にトリニータの話を持ちだしてきたかというと、シーズ思考とニーズ思考をトリニータに当てはめて考えてみると腑に落ちたからだ。

 大分トリニータは1994年に創設された。1999年にはJ2に参加し、2002年にはJ1昇格を遂げる(このあたりからぼくの記憶に残っている)。その後は浮き沈みありながらも2008年にナビスコ杯(現ルヴァン杯)で優勝し、九州のチーム初のタイトルを獲得する。

 当時のメンバーを見るとあまりに豪華でのけぞってしまう。金崎夢生、森重真人、家長昭博、清武弘嗣、西川周作といった現在日本を代表するメンバーが名を連ねている。当時は大分が起こした「奇跡」なんて言われたが、こうして見ると奇跡でもなんでもなかったんだと思う。この年はリーグ戦も歴代最高の4位で終わり、これで強豪クラブの仲間入りだと大分県民は胸を躍らせたものだ。

 ユニフォームの、胸のエンブレムの上に輝く星は、いまでも大分県民の誇りである。

↑今年のぼくのユニフォーム。まだこれを着て会場にいけていないんですよね……コロナが憎い。

 大分トリニータを語るうえで外せないのが、その後の低迷期である。

 ナビスコ杯で優勝した翌年、ホームグラウンドの芝の状態が悪化(大分のニュースで芝生が剥がれボコボコになったピッチがよく写されていた。こんなに注目された芝は他にないと思う)怪我人が続出、そのほか負の要因が重なってまさかのJ2降格となった。さらに翌年にはクラブ経営の悪化により、主力を中心に半数近くの選手とスタッフを大放出。2012年にはなんとかチームを持ち直し、再びJ1の舞台に戻る機会を得るが、経営に余裕はなく、県民や政財界に金銭的な支援を募ったほどだった。当時、地元の新聞、テレビ、県をあげてトリニータを応援しようという雰囲気があった。街頭に監督や選手が立って支援を呼びかけていたのをいまでも覚えている。こんなことをプロのスポーツ選手がやらなくてはならないのかと驚愕したし、申し訳ない気持ちにもなった。あのときトリニータのために尽くしてくれた田坂監督(現栃木SC監督)や選手たちには感謝している。その節は、ほんとうにありがとうございました。

 その後、無事にJ1昇格を果たすがすぐに降格、あれよあれよというまにJ3へ転がり落ちる。不名誉ながら、J1でタイトルまでとってJ3に降格したクラブは唯一トリニータだけだ。

 ぼくはといえば、このあたりでトリニータの試合を見るのを辞めた。試合の結果もほとんど見なくなった。見るのを避けていた。地元を離れて東京に住むようになったという理由もあるが、結果を見ても落ち込むだけで、なんのために応援しているのか分からなくなっていた。

 現在のトリニータに至るまでの分岐点は、J3に降格した2016年にある。

 新監督として片野坂知宏が、新社長に榎徹が就任したのだ。このふたりが起こしたのはまさに「快進撃」と言っていい。J3のチームを3年でJ1に引き上げ、2019年には9位という一桁順位でのフィニッシュを果たした。特別資金力があるわけでもないただの地方クラブがこの成績を収めるのは、ほとんど不可能に近いことなのだ。ぼくはといえば、2018年あたりからトリニータの試合をまた見るようになった。見ていて楽しいと思えるようになったから。

 そして2020年。

 新型コロナウイルスの影響もあって過密日程が続き、現在、選手層の薄いトリニータは思うような試合ができていない。目標の6位以内には程遠く下位に低迷し、試合内容を見てもまるで勝てる気がしない。もはや負けることに悔しさを感じなくなってきてもいる。試合後のインタビューで片野坂監督が弱気な発言をしているのを見るのは悲しい。今年は降格がなくて本当によかったと、諦め半分に胸をなでおろしている。

 とはいえ、これまでの歴史も踏まえて考えてみれば、そもそも大分トリニータというクラブがJ1でやれていることのほうが珍しいことなのだ。各クラブの人件費(2019年)を見てみると、トップのヴィッセル神戸の約70億に対し、大分トリニータは約8億5000万で、約10分の1しかない。金額だけで言えばJ1で最下位、J2の大宮、千葉、長崎、京都、徳島なんかにも負けている。現実的に考えて、J1で試合をできているだけで、ありがたい。

 J3から這いあがってきた貧乏地方クラブ。ダメならまたゼロからやり直せばいいだけである。なにも怖れることはない立場にいる。ずっとチャレンジャーなのだ。

 さて、大幅に話が逸れていったが、シーズとニーズの話にここで戻る。

 先に述べた通り、トリニータの懐具合、台所事情は大変厳しいものがある。勝ちという目的に対して、札束をまいて選手やスタッフをかき集めることはできない。現在いる人材で、与えられた環境で、なんとか勝ちをたぐりよせるしかない。

 必要となるのはまさにシーズ思考ではないだろうか。ニーズを満たすためになにを変えるかではなく、いまあるシーズをどう育てるかを徹底して考えていくべきだし、いままでもそうやって立ち直ってきたのではなかったか。

 トリニータの選手たちは、試合で負けると「自分たちのサッカーができなかった」と悔しそうに口にする。いまの自分たちにできることを実践することができれば自ずと結果はついてくる、と分かっているのだと思う。

 持っている手札で、戦術を練り、最後まで粘り強く戦うこと。不撓不屈の精神で、自分たちのサッカーをやりきること。そうすれば、観戦しているサポーターのニーズは満たせるはずだ。たとえ敗戦したとしても、シーズとニーズは幸福に結びつくのだ。


まとめ

 ざっと自分で読み返してみたが、思考法の話をしているのかトリニータ愛を語っているのか分からなくなってしまった。これからもこういう感じで、思うがままに脱線させつつ懲りずに書いていく所存である。

 最後にひとことだけ。LOVE TORINITA(了)


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