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龍の背にのれ!⑤

出会いの価値は1億


私(ヒレヨ)はシンガポールでの就職活動の末、めでたく?ローカルのシステム会社への就職が決まり、急遽翌週から働き出すことにになった。

なお、観光ビザしか無いのに報酬を受け取る活動をする事は、不法就労である。

そんな道を踏み外した不良外人になってでも、このシンガポールのカオスビル(Sim Lim Square)で見つけた怪しく魅力的な会社の一員になりたくなってしまった。
詳細前号参照

偶然掴んだこの頼りげの無い、龍の尻尾を一時でも離したくなかった。

そして『就労ビザ取れるまでは現金支給ね!』の短パン社長の軽い言葉に二つ返事でのり、私のなんとも危ういシンガポール生活はスタートを切った。

翌朝、出社すると狭くて薄暗いオフィスには事前に社長から聞いていたメンバーが既に集まっていた。

スタッフは10名、シンガポール人、マレーシア人、中国人、インド人、そして日本人と多国籍。
この小さな部屋にこれだけの国の人間が詰め込まれているとは。
うーんここは小さなシンガポールの中のミニシンガポールだ、なんて感心してしまった。

スタッフの皆は有難いことに、英語力のままならない私を、人見知りする間も与えぬ勢いでメンバーの一員へと同化させてくれた。

とにかくこの国の人たちは他所者に寛容的だ。

数日後シンガポール人スタッフのMayさんから『ヒレヨは今どこに住んでいるの?』と聞かれた。
彼女はシンガポール人のプログラマー。新婚夫婦で日本のアニメが好き。だから少し日本語が少し話るのだ。

『ゲイラン地区の安ホテルだよ』というと彼女は少し顔を歪めてから、『ウチの空き部屋だったら、住むところが決まるまで使っても良いよ』とオファーしてくれた。

どうやらシンガポールではワンルームアパートの賃貸より、ルームシェアの習慣が一般的な様子。

それは渡りに船の大変有難い申し出だったけれど、少し考えてみればわかる事。
私のような自堕落で秩序とは正反対の人間が押しかけ、部屋でビール飲んだり、読みかけの本で部屋をとっちらかし、遅くまでダラダラと過ごされた日には、新婚夫妻に大変迷惑かけるだろうなあ。
火を見るより明らかな事実を未来予測をしていたところ、

彼女は私の醸し出す薄暗い空気を読み取ったのか提案を即座に取下げ、機転を効かせて『このサイトなら予算内の部屋見つかるかもよ』とルームシェア募集のウェブサイトを親切に紹介してくれた。

そして私はその週末早速、ウェブサイトで同居人を募集している台湾人のヤーティンさんという方と会うことに。

ヤーティンさんはシングルマザーの台湾人。
富豪の暴力夫と別れてからは息子とお手伝いさんの3人暮らし。
豪華なコンドミニアムの一部屋が余っているのでそこを貸部屋にしようと検討しているのだそう。

豪華な敷地内を案内してもらいながら、日本語混じりのわかりやすい英語で色々と話をしているうちに意気投合し、『この後仲間達とここでバーベキューパーティーをするけど一緒にどう?』とお誘いを受けた。

特に予定もなくプールサイドのデッキチェアでいい気になっていた私は、もっとこの流れに任せてみたくなって初対面のヤーティンさんとこれからあらわる未知のメンバーとのバーベキュー大会に潜入することにした。

そして間もなく集まって来たのはこれまたコンドミニアムに相応しい高級車。

こ、これはあのクレイジーリッチの世界では?

まさかそこまでのスケールではありませんが、
集まった人達はそれぞれ中国、台湾、香港、シンガポール出身の華僑の方達で
皆フレンドリーに声をかけてくれた。

場違いな場所に緊張も手伝って食事もあまり喉を通らなかった。
その上で強い酒を勧められるままに飲んでいたら酔いが回ってきたゾ。

そして極め付けに黒ビールに生卵を落として皆でジョッキ一気飲みをした。
『こ、この気持ち悪い飲み方は、わ、悪くない。ま、まさか貴族の飲み方ですか?』

いよいよ私は調子に乗って、朦朧とした意識の中、日本語とも英語ともつかぬ言語を駆使し、壊れたラジオとなってクタクタと喋り始めた。

最初はシンガポールにくるまでの経緯などを話していたけれど、そのうち何を思ったのか緊張のブレーキの外れた大脳が空気を読まず、大した知識も持ち合わせていないのに、素っ頓狂な過去の歴史のことにまで口出ししてしまった。

すると、何かに気付いたのだろう、それまで静かに座っていた1番年配と思われるお婆さんが中国語で語り出した。

そこにいた全員は話すのをやめ、しばらく老婆の話に耳を傾けていたが、私には中国語で何を話しているのかはさっぱりわからない。

取り残されたように黙って下を向いていたそこへ、
『ニホンジン』という日本語が私の耳に飛びに混んで来た。

私は顔をあげるとその老婆がじっとこちらを見ていた。
そして『ワタシはニホンジンがキライです。』と日本語の敬語ではっきりと言われた。

私の脳内を侵食していたアルコールは一気に分解処理され、緩いムードが一気に暗転した。

ただただ、返す言葉も見つからずに黙っていると、再び中国語の会話が始まった。
私がただその場で黙っていたところで、隣の男性が一言『お婆さんはそれでも好きになる努力をしようと言ってくれているのだよ』ということを教えてくれた。

自分の軽率な言葉に反省しつつ、そして今度は少し考えてから、それでも半ば無意識に『Give me a chance』という言葉が口をついて出てきた。

この言葉が正しいかなんてわからない。正直なところ、自分には戦争の当事者意識なんて意識はほとんど欠落しているのだ。
そしてここ、シンガポールでの歴史認識を意識するには、知識が足りなすぎるのだ。

それでも、発した言葉で何かが伝わったようだ。

場が和んできて、彼らは今度、自分達のことを話し始めてくれた。

それは自分達のルーツのこと。

アーティンさんを含む、ここに集まっている人たちの多くは客家人という分類で、中国の中でも少数派のエスニックグループなのだそう。

客家人は中国の一民族。
東洋のユダヤ人とも呼ばれ、戦禍を逃れるため長年に渡り、移動を繰り返してきた流浪の民なのだそう。
厳しい環境の中、学問を重ね、持てる知恵を活かして、サバイバルを繰り返して来た人たち。
ゆえに客家の出身にはビッグネームの人達が多いのだとか。

https://ja.wikipedia.org/wiki/客家人の一覧

そしてシンガポール建国の父、かのリー・クワンユー氏も客家の出身ということを聞き、そんな人達の存在に俄然興味が湧いた。

私はアーティンさんにまだ就労ビザも取れていない不安定な状況であること、金銭的に余裕がなく、すぐにでも仕事を始めなければならない切羽詰まった状態であることを伝え、もしそれでもよければ居候させてほしいことを伝えた。

目下流浪の身である私を見て少し親近感でも湧いたのだろうか、危険なリスクにもかかわらず、『ビザのことなら心配ない、部屋を開けておくから明日にでもおいで。』と快く受け入れてくれることとなった。

それにしても日本を出てから急展開で自分を取り巻く環境が変わっていく。
人は自覚することで、一つ一つの選択や意思決定が影響ある非常に大事なものに変わっていくのだと思う。

来週の週末はシンガポールの戦跡巡りをしよう、この地でどんな事があったのか歴史教科書の様な数行の表現で終わらせるのではなく、“日本人“ になって見て回りたいと思った。

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一年間共同生活をさせてもらうなかで、彼らから学んだ重要なことの一つが投資家マインドでした。

いつも、モノの価値を意識していて、普段の生活の中でも価格の話題が頻繁にでてきます。

国家不安定時や経済危機時などの局面でもモノの値動きにとても敏感。特に不当に値の下がったものを見つけては即時アクションを起こす、そんな逆張り精神のようなものがすごかったです。

『未来予測は困難。一方で現状分析は容易』
『普段からアンテナを張っておけば、価格変動などの現状変化を分析し行動することができるのだ』
『むしろモノの価格の変動を見ていれば “炭鉱のカナリヤ” となって起こりうる有事のアラーム代わりになってくれることだってあり得るのだ。』ということを言葉でなく態度で教わりました。

勝手な解釈ですが、客家の人達は移民の民であったため、常に持ち運びに便利な現金を最大化させることによって生き延びできたのだと思っています。

そんな人達を『拝金主義』と言う一言で片付けてしまうのはあまりに短絡的。
妙にお金に対して潔癖症的なつき合い方をしている人たちの方がずっと不自然に見えてしまうこともあります。

そして、それまでは投資などは殆ど考えたことがなかった私でしたが、彼らに出会ったのちすぐに少額からでも良いからと投資の真似事を始めました。

あれから10年が経ち
今でもできるだけシンプルに教わったことを守り続けている私は少なくともお金に対して脅威を感じる必要はなくなった。
そして、あの頃よりもずっと前向きにお金と向き合えるようになる事ができました。

小さなきっかけが始まりのこの出会いは、私にとって人生を変えた出来事と言っても決して大袈裟ではないものなのです。




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